「詩を考える」

 「詩の本 I 詩の原理」筑摩書房1967年初刊1970年7刷の前半部を読んだ。前半の「詩を考える」は金子光晴「詩とはなにか」、大岡信「日本近代詩の流れ」そして清岡卓行「西洋近代詩の流れ」の三篇からなる。後半は「わたしの詩論」として西脇順三郎以下七名の執筆。前半の三篇のうち、大岡信の評論にずしりとした濃密な手ごたえを感じた。この四十年、大岡信の著作をいくつも読んでいるが、この長くはない評論にもっとも深い感銘を受けた気がする。あるいは、今だからこそ深く理解できたともいえる。冒頭二ページからこんな文に出合う。

「異質な文明との激突、それの巧みな摂取は、摂取が巧みであればあるほど、どこかに大きな歪みが生じるはずであったが、しかし明治の人々は、そのような未来の見通しを思い患う余裕はなかった。余裕がなかったのは、相手の強大な力に迫られていたからにちがいなかったが、また、相手の魅力があまりにも大きかったからでもあった。」

「こうして、極端な欧化主義と、国粋主義の叫びとの交替あるいは共存が生じ、結果として、双方の独特な混血のくりかえしが、現在にいたるまでの日本近代文明を特徴づけるものとなったのである。」

「日本の近代詩も、この趨勢と別のところから出たのではなかった。むしろ、近代詩発生の事情は、それがとりわけ鮮やかに、欧化主義的な文明開化思潮の嫡出子であったことを物語っている。」

 上記の評言は、そっくりそのまま美術にもいえると思う。すなわち西洋画と日本画

 昼過ぎに来館された年配の方、この企画展だけでたしか四回目。最初のときは安藤信哉、内田公雄氏の絵にどこがいいのか? と首をかしげていたけれど、きょうはどちらもいいねえ、と感心、味戸ケイコさんの絵も興味深く鑑賞。そして仰る。

「他の美術館は風景画やら人物画やら、まともな絵ばかりでつまらないけど、ここは違うね。いちばんいい美術館だね。」

 こういう感想を聞くと、やっていてヨカッタ、と思う。

 ブックオフ長泉店で三冊。「ちくま日本文学 025 折口信夫ちくま文庫2008年初版、殿山泰司「三文役者あなあきい伝 part1 」ちくま文庫2002年5刷、「『探偵クラブ』傑作選」光文社文庫2001年初版、計315円。