「日本近代詩の流れ」

 昨日話題にした大岡信「日本近代詩の流れ」で最も印象深かった箇所。

「もともと、象徴主義は、もっとも内的な詩的実体を、何の説明も、種明かしの装置をも設けずに、じかにその言語構造物として提示しようとする。それがなおかつ堅固なリアリティをもって人をうつとすれば、その言語構造物が、それ自体として確固たる実在感に貫かれていなければなるまい。ヨーロッパで象徴主義自然主義リアリズムののちに、いわば自然主義を深化する形で否定しつつ出現したのもそのためだった。」

「日本の場合、じつはこの関係が逆転していたのである。文学思潮がヨーロッパからの輸入思想を軸に動いてきたため、自然主義思想が実際に根のあるものとして自発的に起る以前に、象徴主義の観念が輸入されてしまったのだった。」

 以下の箇所も心に留まった一節の一部。

「詩の核となり、詩の『生活』を形づくるべき、あの内的なリアリズム」

「堅固な詩的実質をその言語構造のうちにきざみあげること」

「そこでは、微妙だが決定的に、ある『実人生』的なもの、『生活』的なもの、の有無が、詩の時代を超えての持続性を左右しているように思われるのだ。」

 ここで使われている「詩」を「絵画」に言い替えてもさしつかえないと思う。また「このように一見無技巧的な、しかしじつは呼吸のリズムを慎重に計算した形式をもつ」絵画こそ、安藤信哉の晩年の作品だと私は確信している。だからこそ、造型作家をして「時代を超えている」と言わせしめた(7月17日)。

 某ウェブサイトでネットゲリラ氏を 「人間検索ロボット」と呼んでいる。たしかに。氏の様々な分野の厖大なコレクションには脱帽するしかない。二十年前、氏と知り合う前に奥さんの絵の才能に気づいた私は、自分の目を少し自慢してもいいかな。

 ブックオフ長泉店で二冊。関川夏央谷口ジロー「『坊ちゃん』の時代」双葉文庫2002年初版、三浦展(あつし)「平成女子図鑑」中公文庫2008年、計210円。後者、三浦展の略歴に「1980年代 パルコの情報誌『アクロス』の編集を手がける。」とある。「アクロス」、東京へ出て本屋で見かけたときに買っていた雑誌だ。