美術の秋のハードボイルド

 昨日閉館時間にも、知人が団体展で大賞候補になった、来年は無鑑査だと嬉しい顔を隠して知らせに来る。初出品で入選した、初出品で入賞したと言いに来る知人たちもいた。それぞれの人生で思い出深い年になるだろうなあ。

 昨夕、帰りがけにブックオフ長泉店で三冊。北村薫「ミステリは万華鏡」集英社1999年初版帯付、柄谷行人「言葉と悲劇」講談社学術文庫1993年初版、中村雄二郎「現代情念論」1994年初版、計315円。「現代情念論」、385頁から400頁までページが逆になっている。落丁ではなく乱丁か。「美は乱調にあり」瀬戸内晴美なんて言葉を思い浮かべたら、キャプテン・ビーフハートのLPレコード「美は乱調にあり」をレコード棚から出していた。でも、聴く気分ではない。きょうは藤原新也「全東洋街道(上・下)」集英社文庫1982年2刷、1983年初版、計210円。「全東洋街道」、単行本はその昔、誰かに貸したまま戻ってこない。久しぶりに見ると、見覚えのない写真がいくつも。私の記憶なんてそんなものだろう。その程度の記憶力だから、矢作俊彦「さまよう薔薇のように」が既読なことも忘れていた。この本は、福田和也が「作家の値うち」飛鳥新社 2000年で「掛け値なしの大傑作」と書いていたので、読んでみたのだった。その評言は覚えている。この評言の前に、彼は書いている。

「戦後生まれで『偉大な作家』と呼ぶに値する唯一の、いや村上春樹とならぶ作家である。」

 じつにクールなハードボイルド小説だ。高城高結城昌治らが切り拓いた日本ハードボイルド界に新たな地平を開いたといえるかも。福田和也は書いている。

「日本の文学風土に、文明批評としてのハードボイルドを誕生させた。」

 その辺のことは何ともいえないが、気障な科白、使いたくなる殺し文句には事欠かない。ストーリーよりもそちらの文言にしばし立ち止まる。「キラーに口紅」より。

「雲が割れ、太陽が真正面に顔をのぞかせていた。陽は強かったが、風は冷たく、空気が私の背中でアイス・スケートを始めた。」

「やりかたに品がないいんだよ」「顔に品がないよりましだ」

「あ奴、本当に日本語、判んねェのかなぁ」「早口で喋れば大丈夫だ」

「もう一ヶ月も前から留守番電話(アンサリング・システム)を入れてるのよ。一緒にサファリへ行くって約束はどうなったの!」「お袋が動物愛護協会の理事になっちまったんだ。たまには家の体面ってやつも考えてやりたい」