書評は好き

 山村修「もっと、狐の書評」ちくま文庫の文章から探索の楽しい旅が始まる。田中小実昌「ぼくのシネマ・グラフィティ」新潮文庫の評。

「作家の武田泰淳の映画エッセーに、映画館で『シナまんじゅう』を食べる話が出てくる。」

 出典が「私の映画鑑賞法」潮出版社とある。おっかしいなあ、と思いながら本棚からその「私の映画鑑賞法」を抜く。私の本は朝日出版社1963年刊行。「タデ食う虫と作家の眼」にその文があった。

「そのとき、ぼくは大きいシナまんじゅうを、三つ食べたのだった。」

 今世紀、まだ映画館へ足を運んでいない。いや、平成になって行った記憶がない。だけど、映画評の本はたまに買う。この「私の映画鑑賞法」は、表紙に横尾忠則の絵が使われていて安かったから買った。安くなければ買わない。表紙絵のためにだけで買ったので中身は読んでない。ぱらぱらと開いて見ると、「『ヨーロッパの夜』『世界の夜』『アメリカの夜』など、たてつづけに見た。」に眼が留まった。子どものころ、通学途中でこのポスターを見てドキドキした覚えがある。セクシーな女性へのあこがれね。

「いずれも世界各地の美女の肉体を、まざまざと見せてくれる。趣向をこらした豪華な舞台で、くねりにくねる異国の白い肉体は、たしかに、海外旅行ブームの昨今、日本男の欲望をそそるであろう。」144頁

 たしかに。子ども心にも欲望を刺激された。彼は続けて書く。

「各民族の舞踏の形式を知るにも便利である。」

 誰が知りたがるか。

「だが、やはり『人間の快楽とは、すぐさまタネギレになるものか』というジキル博士の嘆きが、響いてくるように思われた。(昭和三十六年十一月)」

 ブックオフ長泉店で二冊。瀧野隆浩「宮崎勤精神鑑定書」講談社1997年4刷帯付、村上春樹パン屋再襲撃文藝春秋1986 年初版帯付、計210円。前者は、誰かの書評で取り上げていた記憶。