時さえ忘れて

 昨日の書き忘れ。テレビ東京で日曜夜に放送された「元祖!大食い王決定戦」、悲願の完全優勝を果たした「アンジェラ」佐藤綾里、鬼気迫る(胃袋にも危機迫る)喰いっぷりに感動。優勝して、「お母さ〜ん!」と叫んだ姿が忘れ難い。長身34歳の美女が必死の形相でガツガツ喰らう。時を忘れて見入ってしまった。ビデオに撮っておけばよかった。ネットでは話題の人なんだ、やはり。

 きょうは雨模様。合間を縫って自転車で来る。九時半、ボンボンボンと花火が上がる。秋祭りか。

 山村修「もっと、狐の書評」ちくま文庫には「はじめに虫明亜呂無がいた」と題する玉木正之・編「虫明亜呂無の本・3 時さえ忘れて」筑摩書房1991年が紹介されている。これは昨日の「解体新著」でいえば「積極的に人に奨めたいと思う本である。」

「スポーツ小説とスポーツ批評において、虫明亜呂無よりも遠くまで行った者はまだ一人もいない。」

 その本「時さえ忘れて」から「芝生の上のレモン サッカーについて」という五十ページほどの文章を読んでみた。驚いた。時さえ忘れて読んでしまった。名品といえるかも知れない。広い芝生の上、ボールを追って蝟集し散開する選手たちのダイナミックな動きを、回想や映画、演劇を挟んでスピーディに展開してゆく筆運びは、巧みなカーヴを描くサッカーボールの軌跡のよう。こんな見事な文章を、まずマネしようとは思わない。以下の文章は、絵画にも通じる。

「そこには常に音楽がある。強弱長短のはっきりあらわれた律動がある。律動を生かしも殺しもするのが選手個人個人の素質と修練である。」

「秩序と法則、点と線、体力と精神力、そうしたものの運動がみせる、迅速に消滅してゆく美しさ、あわただしく誕生する美しさ。運動の量感、スピード感。須臾の間の生命の充足と拡散。それらの無限の連続。」

 帯には小林信彦の推薦文。

「高度成長のさなかに、ひとり、< スポーツの魅惑 >を説いた虫明さんは、生まれながらのアウトサイダーだ。現代の読者が虫明さんの現実拒否のうたの美しさに酔ってくれれば、と心から願う。」

 小林信彦「読書中毒」文春文庫2000年初版に「ぼくの仲人だった故虫明亜呂無氏」250頁とある。興味深いつながりだ。