反転

 原信田実「謎解き 広重『江戸百』」集英社新書2007年、広重の「よし原日本堤」解説で其角の俳句「闇の夜は吉原ばかり月夜哉」が引用されている。

「──其角のこの句をどこで切って読むか。落語の『文七元結』では、咄家は『闇の夜は・吉原ばかり月夜哉』と切り、夜でも昼のように明るい不夜城、吉原を詠んだと解釈する。これに対して、幸田露伴は、『闇の夜は吉原ばかり・月夜哉』と切る。つまり吉原残酷物語で、闇のなかにある吉原を月が照らしていると読む」

 本棚から泡坂妻夫「煙の殺意」講談社1980年初版を取り出す。収録された一編、「椛山訪雪図(かざんほうせつず)」を再読。このミステリ短篇では、其角のこの句の反転が、事件解決の鍵になっている。三十年前、「幻影城」増刊号で読んだ時、舌を巻いた。今読んでも感嘆。その反転の解釈の出典が、この本でやっと明らかになった。ここまで書いてふと思った。美術愛好家にはこの短編のような骨董趣味の人と現代美術を追う人とがある。双方に注目する人は、まずないように思う。過去へのめり込む人と最先端へ突っ込む人。私はその間か。骨董にハマルことはなかった。現代美術には違和感。

 「謎解き 広重『江戸百』」では他にも自分の無知を教えられたことがある。「真乳山山谷堀夜景」解説に「今戸有明楼は明治なって浮世絵師、小林清親(きよちか)や井上安治が盛んに描くようになるが、安政三年(一八五六)に開店して三年後には有名店になっている。」この有明楼に「ゆうめいろう」のルビ。「ありあけろう」と誤読していた。