共律

 昨夜はテケママの五十五歳の誕生日に合わせた「GO〜GO〜party」へ友だちと参加。サルサ音楽が流れ、生のパーカッションが響く中、三十人余りの気の置けない人たちが集まる。といっても、殆どが初対面。向かいの三十代のご夫婦と話が弾む。なんと三月に催した白砂勝敏展へいらしたという。大病を患った奥さんを優しく見守っているご主人と、その愛を全身に受け止めてゆっくりと生きているお二人の姿にいたく感銘。死を乗り越えた二人には他に何も要らない、今この日常をいとおしむ、という生き方をありありと感じた。我が人生を顧みる。生きるときは一人、死ぬときも一人、という考えで生きてきた。自立そして自律。目の前の二人は共立そして共律。もたれあうのではなく、寄り添う。私に欠けている(それが悪いわけではないが)ものがそこにあった。自立自助独立独歩と頑なに思い、その実、人情を突き放していた、と思い至る。自戒をこめてここに記しておく。それはさておき。いい人たちに助けられているなあと、最近やっと気づく愚か者。

 昼食後、源兵衛川の月例清掃へ。わずか一時間たらずの清掃に、鎌倉、東京から来てくれる人もいる。ありがたいこと。晴天のもと、多くの旅行者が川を歩いていく。人気を実感。午後二時四十分再開館。

 原信田実「謎解き 広重『江戸百』」集英社新書2007年でなにより驚いたのは「王子装束ゑの木大晦日の狐火」の項。

「このような話し手の『創造』という営みについては、イギリスの歴史学者、ホブスボームが、invention of traditionと名づけ、フランスの文化人類学者、レヴィ=ストロースは、鋳掛屋のつぎはぎ仕事をイメージしながら、bricolage命名した。これを『伝統の創造』や『器用仕事』と訳すのは、原意を大いに損ねる。きれいすぎて、いかがわしさの語感が消えてしまう。『伝統のでっちあげ』『つぎはぎ仕事』と訳すことで、話を加工するいかがわしさが、はっきりとわかろうというものである。」122−124頁

 E・ホブズボウム他編「創られた伝統 THE INVENTION OF TRADITION 」紀伊国屋書店1992年初版を開く。夕陽を受けて秋雲が、空一杯に乱れ髪のような大胆に素晴らしい文様を創っている。しばし見とれる。