時代に早過ぎる

 昨夕、ブックオフ長泉店で二冊。富島健夫「初夜の海 上」スポニチ出版1977年初版函付、ロバート・ネイサンジェニーの肖像創元推理文庫2005年初版、計210円。後者はハヤカワ文庫で持っているけど、「それゆえに愛は戻る」が併録されているので。前者は、城一郎(じょう・いちろう)「発禁本曼荼羅河出書房新社1993年初版に「このところ、ワイセツ容疑で摘発された文芸書はほかになく、この『初夜の海』が、昭和最後の禁断の書である。」191頁とあるので購入。「発禁本曼荼羅」、戸田ヒロコさんの装丁がさりげなく凝っている。黒い堅表紙の浮き出し(エンボス加工)の文字がいい手触り。

 開館前一時間ほど、県庁の女性職員を源兵衛川などへ案内。歴史(その前〜その後)を知ることで印象が深まりますね、と彼女。清水町の小学生の一団に遭遇。引率の人は歴史を知らず、興味も示さなかった。

 百目鬼恭三郎「続 風の書評」から。

「また、推理作家協会賞の長編部門で受賞した西村京太郎『終着駅殺人事件』(光文社・六三○円)と、短篇部門で受賞した連城三紀彦『戻り川心中』(講談社・九八○円)は、ともに失望するほかのない凡作であった。」114頁

横溝正史が死んだとき、新聞は佐藤春夫志賀直哉の場合とおなじような騒ぎ方をした。まさか、横溝の作品が晴夫、直哉に比肩すると思っているわけではあるまい。」119頁

「横溝の水準がどの程度のものかは、すでにこのコラムでも言及しておいた。要するに、品のない怪奇趣味と幼稚な不自然さを特徴とする劇画そのままなのだ。」同頁

 違和感を感じ、連城三紀彦「戻り川心中」を再読したが、巧みな作り込みに感心した。横溝正史の探偵小説も同様の工芸的職人技の面白さが満載だ。「風」が居丈高に吹聴しても、作品が後世まで遺るかどうかは受け手次第。出久根達郎「古書法楽」中公文庫1996年初版。

「大正末ごろのセーヌ河岸の露天古本屋には、浮世絵やビゴーの銅版画や江戸時代の銀板写真や日本刀が、無造作にころがっていた。物の価値というものは時代が作るのだ。」320頁

 その「文庫版あとがき」。一九七一年七月末のこと。

「私は伊豆の大瀬崎で、友人たちとテントを張っていた。(引用者:略)昼食後、腹ごなしに近所を散策した。大瀬崎入口のバス停前に、氷屋があった。土間に本棚が据えてあって、古い貸本漫画がびっしりと詰められていた。思うに昔は貸本屋だったらしい。(引用者:略)つげ義春や、楳図かずお、松本あきら、牧美也子などという、なつかしい人たちばかり並んでいた。」

「なぜ突然こんな話を持ちだしたか、というと、昭和四十六年当時は、古い漫画に全く誰も関心がなかったということだ。商売人の私でさえ、氷屋の棚を見ても、宝と思わなかったのである。」

 その昭和四十六年当時、私は池袋、甲府、倉敷、三次といった場所でつげ義春水木しげるの貸本漫画を中心に買っていた。三十年後に価値が出る、と予想して。本は売らずにある。来年再び、そんな時代の展覧会をしようか、と昨日思い立った。2003年の展覧会のときには、開館から閉館まで昼食もとらずに、床に坐ったまま、ひたすら本を読み耽っていた人もいた。大好評だったけど、来館者はとても少なかった。時代に早過ぎたのか、宣伝不足だったのか。ま、今もそうだけど。そういえば近々、広島県三次市から源兵衛川を視察に来る。それも日帰りで。ふわあ。