10月26日(月) 休館日/ジゴマ

 台風接近の雨なのでのんびり過ごす。昼前に近所の古本屋へ。安藤鶴夫「寄席」旺文社文庫1981年初版120円、レオン・サジイ「ジゴマ」中公文庫1993年初版帯付200円、計320円。後者は久生十蘭 の訳。中島河太郎の解説によると、「ジゴマ」は1909年にフランスで刊行された。映画「ジゴマ」は1911年(明治四十四年)に公開。その年の十一月に日本で上映。空前の大当たり。

《ところがこの映画は凶悪な犯人が殺人放火、誘拐、強奪、逃走など、あらゆる犯行の手口を見せながら、探偵を巧みに翻弄するという内容で、こういう映画をはじめて見た観客は悲鳴をあげたり、また少年で犯罪を真似るものがあった。そのため大正三年(1914年)には「ジゴマ」および類似するものは上映禁止になった。》

 大正二年から活動写真(無声映画)の弁士として活躍を始めた徳川夢声の短篇小説「オベタイ・ブルブル事件」(昭和二年)冒頭。

《新聞によって見るに、
 映画を見て──強盗をした奴がある。
 映画を見て──放火をした奴がある。
 映画を見て──人殺しをした奴がある。
 映画を見て──姦通した奴がある。》

 続いて「まったくもってベラボーな話だ。まるで映画さえ撲滅すれば、社会からありとあらゆる犯罪を種切にすることが出来るとでも思っているようだ。」と嘆いている。江戸川乱歩は「私の映画歴は、笑ってはいけない『ジゴマ』に始まるのだ。」と書いているとか。人気のほどがうかがえる。

 夜、味戸ケイコさんから電話。美術評論家椹木野衣(さわらぎ・のい)氏が来春、河出書房新社から出す美術書のことなど、いろいろ語り合う。その折、中島誠之助の本を引用。

《一つの例として、二人の画家を挙げてみます。一人は奄美大島に渡り、「黒潮の画譜」と評された作品を描きつづけ、誰一人看取る人もなく亡くなった田中一村(いっそん)。かたや、文化勲章の栄誉に輝いた東山魁夷(かいい)。この二人の画家は日本画壇で「花の六年組」(東京美術学校・昭和六年卒)といわれた同級生だったんですね(田中は中退)。
 現在の世の中における名声は、間違いなく東山魁夷にありますが、五十年後、百年後の評価はどうなっているでしょうか。私は田中一村の作品が重要文化財に昇華していると思うのですが、みなさんはどう思われますか。》「にせもの師たち」講談社文庫2005年、49〜50頁