晩秋に開く

 グラウンドワーク三島の「街中カフェ」がきょう開店。準備中のところへお邪魔して地元箱根西麓産の大根、白菜、きゅうりなどを買う。開店前なので私が一番乗りの客。

 昨夕、帰りがけにブックオフ長泉店で二冊。尾崎士郎「人生劇場」新潮文庫2000年初版、谷川俊太郎・編「二十歳の詩集」新書館1993年初版帯付、計210円。……三浦しをん「人生激場」、原口統三「二十歳のエチュード」、高野悦子二十歳の原点」。二十歳の頃は青春真っ只中、いたるところに峡谷あり激流あり。手探りで夢中でわたっていた。

《誰しも青年期にかかえこんだものから逃れることはむつかしい。それに固執するために、あるいはそれを解除するために半生を棒にふらねばならないほどに。》吉本隆明「悲劇の解読」筑摩書房1979年帯文より

 半生を棒に振らなかったが、あの頃の世界に対する違和感をずっと抱え込んできた。以前にも記したが、それへの対処として、K美術館があり、グラウンドワーク三島がある。ここから知覚変革、地殻変動を起こす。なあんて大風呂敷を広げて幾星霜。きょうも床を磨いてる。「悲劇の解読」序より。

《わたしたちのあいだで優れた<作品>はことごとく悲劇的にあらわれてくることは自明である。このばあいの<作品>はあくまでも具象的なものを指すので作品という普遍性を指しているのではない。》

《悲劇を介してだけ<作品>は普遍的に作品に到達するという公理系の発見こそはここで主題となっているそのことである。それを発見した途端に(あるいはその発見をするやいなや)読者もまた悲劇のなかに存在するはずである。なぜならばそれこそが公理が公理であるゆえんだからだ。》

《悲劇は作者と作品とを結びつけているとともに作者よりも深いところでまだ意識されていない。》