行き届いた文

 昨日、銅版画家林由紀子さんからヴェネツィア土産に頂いたペンの話を友だちにして、画家の名は忘れたが油彩画「干上がったヴェネツィア」の画像を送る。

 静岡新聞朝刊に企画展の記事。行き届いた紹介だ。うららかな午後、昨日買った青山南「翻訳家という楽天家たち」をパラパラと読む。帯の惹句。

《のどかな午後/ コーヒーの香り、暖かい陽ざし/ 問題は締切りだけだ!》

 挟み込まれていた栞は「冨山房百科文庫 冨山房書店」。読んでいて腑に落ちた。「時を駆ける大作家」の項がフォークナー全集の話題。これは冨山房書店から出ていたもの。

《だって、これは想像だが、中上健次は、フォークナー全集が活発だった頃、新宿の立派なフーテンとして、ジャズ・ヴィレッジかびざーるあたりで『八月の光』なんかを読んでいただろうからだ。》

 1960年代末の懐かしい話。「懐かしい」は日本独特の表現だ。「『タイヘン』な日本野球」の項。日本のプロ野球を外人選手の目から見た、ロバート・ホワイティング「和をもって日本となす」翻訳・玉木正之は《とても勉強になる。》

《("Baseball"を『野球』と訳すことも、本書では不適切だろう)》

《「管理」のあとには"kanri"が、「努力」のあとには"doryoku"が、「和」のあとには "wa"が、そしてもちろん「ガイジン」のあとには"gaijin"が入るのだ。》

《日本語の「管理」にあたる英語が見当たらないから、さらには、「管理」が日本文化を理解するさいのキー・ワードのようだから、原著者は変に翻訳しないでそのまま提出したということなのだろう。》

《"taihen"という言いかたも日本独自の言いかたとして本のどこかに説明してあっておかしかった。》

 行き届いた翻訳であり、優れた日本文化論でもあるようだ。気になる本がまた出てきてしまった。

 「理想の女たち」の項。

《そしていま、一九九三年春の、急にみんなが、不景気だ、底這いだ、と言いはじめた現在、新雑誌ラッシュは遠い昔話となり、代わって、既存雑誌の休刊と改装が相次いでいる。》

 十六年前も。