思想がない?

 ブックオフ長泉店で「私の履歴書──第三の新人日経ビジネス人文庫2007年初版、105円。安岡章太郎阿川弘之庄野潤三遠藤周作の四人が執筆。阿川の履歴書から。

《私の東大国文科入学は、昭和十五年四月、入学試験はあったけれど、無きにひとしかった。/ 当時の文学部に十七の学科があり、印度哲学、フランス文学、言語学、教育学等々、十六学科までは志望者の数が定員に満たない。つまり無試験。国文だけ、三十名の定員に対し、全国の高等学校から三十五名の応募者があった。それで、試験ということになったのだが、これは落ちる方がむつかしい。かりに落ちても、第二志望の独文とか第三志望の美学とかへ廻してもらえるから、文学部そのものを落第という憂き目には絶対あわない。》

 ウッソー。この本、坪内祐三の解説を読んで彼ら、そういうことか、と納得、購入。

《先にも述べたように、「第三の新人」の作家たちは、その日常性、政治的意識の低さを批判された。/ だが……。/ 阿川弘之安岡章太郎の生まれた大正九年、そして庄野潤三の生まれた大正十年は、太平洋戦争による戦死者がもっとも多い世代である。/ 彼らが選びとったのは、そういう戦争体験を経た上での日常性だったのである。だからこそ彼らの描く日常性は特別の重みを持っているのだ。》

 「日本の詩 第四巻 北原白秋詩集」集英社1979年の編者・飯島耕一の解説。

《われわれの国では、ニーチェドストエフスキーを頭に戴くか、マルキシズムを唱えるかをしないと、思想がないかのように見做されがちである。しかし『雀の生活』を読めば、白秋が仏教に裏打ちされた神妙な思索家であったことが実によくわかるだろう。また晩年の『黒檜』『牡丹の木』は深刻な思想詩と称し得る。》

 北原白秋は五十八歳でこの世を去っている。私は五十九歳。妻を娶らず子もなくて、ああ、何をなしたのか? ま、そんな閑人が一人いてもいい、だろうな。