花をさまりて

 そぼ降る雨なのでバスに乗る。北原白秋の名詩「落葉松」の「七」の気分。

《からまつの雨は/さびしけどいよいよしづけし。/かんこ鳥鳴けるのみなる。/からまつの濡るるのみなる》

 書き忘れたけど、昨日は北原白秋の命日。1942(昭和17)年12月2日没。北原白秋萩原朔太郎と仲がよかったという。作風は両極端だけれども肝胆相照らす仲か。面白いものだ。「日本の詩歌 第9巻 北原白秋中央公論社 1968年付録、篠田一士「白秋の響き」から。

《ことわっておくが、ぼくの建前は、いわゆる「新体詩」以降の近代詩→現代詩を短歌や俳句とことさらに区別しない。区別するならば、前者を自由詩、後者を定型詩、というふうに、それぞれ、異なった形式の系列に分ければいいだろうと思う。そして、この、ふたつの系列を包含するところに、日本の近代詩がはじめて成立するわけだから、詩人、俳人も合わせて、詩人の呼称の下に統合すべきだと考えている。》

 この論に賛成。絵画はどうだろう。日本画、洋画、水墨画木版画、銅版画……。直接描法、間接描法? ま、それはそれとして。

《事実、ぼくは白秋の詩業の絶頂を晩年のふたつの歌集『黒檜(くろひ)』と『牡丹の木(ぼたんのぼく)』のなかに見出すのである。》

 篠田は前者後者から一首ずつ挙げる。

  黒き檜の沈静にして現(うつ)しけき、花をさまりて後(のち)にこそ観め

  秋の日の白光(びゃくわう)にしも我が澄みて思(おもひ)ふかきは為(な)すなきごとし

 明日へ続く。

 ウェブサイト「田中宇の国際ニュース解説」に「温暖化人為説の証拠作りのため、データを歪曲」の記事。

 グーグルの日本語入力、これは凄そう。