孤絶の立脚者

 吉田一穂だ。手強い詩人、それが吉田一穂。最初の衝撃が加藤郁乎(いくや)の俳句と詩だったから、吉田一穂の詩作品は、松岡正剛が「千夜千冊」で取り上げている「吉田一穂大系」仮面社1970年を出版当時に購入。その当時の加藤氏との思い出は省略。松岡は書いている。

≪加藤郁乎は「北原白秋ですね、次が西脇順三郎で、そして吉田一穂ですよ。日本の詩人はこの三人ですべてです」と言った。≫

 松岡正剛は吉田一穂を「孤絶の立脚者」と呼び、続けて書く。

≪ふつうならそのくらいの孤絶者ならば、もっと地鳴りのような噂が立っていたはずなのである。それなのに吉田一穂はかくも忘られたままにある。≫

≪おそらく世の中では「極限」というものがあまりにも辛いと思いすぎているためだろう。みんながみんな「極限」から逃げ出しているからだろう。本当は「極限」だけが重要なのに。≫

 北一明氏も「極限」の人だ。そして「孤絶の立脚者」だ。「日本の詩歌 第9巻 北原白秋中央公論社1968年の作品鑑賞の「おわりに」で村野四郎は書いている。

≪思想のすべてを言葉に賭けることに不抜の信念をもち、それを実行した北原白秋は、やはり偉大な単独者であり、わが国が誇るにたる希有の芸術家だったと思う。≫

 上記の「言葉」を「焼きもの」に、「北原白秋」を「北一明」に替えてもそのまま通じる。日本における北一明と吉田一穂の受け入れられ方のなんと似かよっていることか。

 河野多恵子「不意の声」講談社1968年初刊を四十年ぶりに再読。