賓館

 昨日の購入本。三木笙子「人魚は空に還る」東京創元社2008年初版帯付、森敦「マンダラ紀行」筑摩書房1986年初版帯付、柳広司ジョーカー・ゲーム角川書店2008年9刷、ジャック・フィニイ「時の旅人」角川書店1996年初版帯付、イアン・ランキン「黒と青」ハヤカワ・ポケット・ミステリ1998年初版、同「血の流れるままに」同1999年初版帯付、開高健「ALL MY TOMORROWS I 」角川文庫1990年初版、黒川博行「ドアの向こうに」創元推理文庫2004年初版、柴田元幸「愛の見切り発車」新潮文庫2000年初版帯付、陳舜臣「枯草の根」集英社文庫2009年初版、R・D・ウィングフィールド「フロスト気質(上)」創元推理文庫2008年初版、日本推理作家協会・編「仕掛けられた罠」講談社文庫2008年初版。

 買った本を床に並べて楽しむ。このまま数日間置いておきたいけど、それは無理というもの。蹴飛ばしたり踏んづけてしまったりして本を傷めるから。気の向くままにあっちこっち拾い読み。開高健「ALL MY TOMORROWS I 」角川文庫の「ベルナール・ビュッフェ素描・版画展」1959年の評、「ムードの画家」。

≪が、見た人のなかには、ビュッフェにはりつけられた数多くの陶酔的なレッテルのぎょうぎょうしさに比して、意外に内容の賓寒なのと古いのとに気がついて、案外な思いをする人多いのではあるまいかと思われる。≫

≪作品は知性よりも情緒に働きかけ、その単純なフォルムと構図にあるものは、思考というよりはムードである。非情の姿勢はしばしばセンチメンタリズムの誤ちを犯しやすい。現代人の疎外感情に対する彼の理解は、つねに少年の原初体験的な皮膚の反抗を根拠としていて、ついにそこからぬけ出ることがない。彼の世界は外見の抽象性にもかかわらず、本質的には日常性の延長上にある。彼の絵に対する親密感と不満はともにそこに起因する。≫

 半世紀前に開高健は本質を見ぬいていた。「内容の貧寒」を変換したら、「内容の賓館」に。賓館か。いいなあ。K美術館は賓館か? 貧館じゃあないよなあ、絶対に。素寒貧なら当たらずとも遠からずだけど。