冬天

 せいせいと晴れた冬天。西東三鬼の句だったか。

  冬天を降り来て鉄の椅子にあり

 水尾比呂志「美の終末」から。

≪人間は、美しいものの前に立ったときは、極めて単純な嘆声をしか発し得ないものである。感性は、私たちにそういう嘆声を発させることで、眼前のものが美であることを示すようにできている。このもっとも素朴な、しかし、一番確実な鑑賞体験が、現代美術の作品の前では拒否されるのである。現代美術の作品は、作品自体の充足と自律が非常に稀薄で、作品自体の美しさが私たちに嘆声を出させる場合よりも、作者の人間性や個性が私たちを喋々たる雄弁に誘う場合の方がはるかに一般的だ。だから私たちは、現代美術を見て、わかるとかわからないとかは論議するが、美しいか美しくないかは忘れてしまう。作品の美そのものよりも、作者の人間性や個性に捉われてしまうのである。≫