霜柱

 途上の畑は一面霜柱。ガッサガッサと踏みたくなるのをおさえて美術館へ。昨夜はいただいた柚子三コをお風呂へ入れる。効くのかわからないけど、無病息災までは望まぬが一病息災を願って。回覧しているブログでは今年、癌、透析などやっかいな病気に罹患した人が何人も。一病の内にも入らない自身の左足の不都合は、沼津市の中央整骨院に週一度通っていて、日常に支障ないほどに回復した。薬物治療ではなく物理的治療でここまで回復するとは。東洋医学を見直した。

 小岸昭「スペインを追われたユダヤ人」ちくま文庫は知的刺激に満ちている。

≪問題は、誰もが知っている世界史上の年号、一四九二年である。その年の夏、キリスト教への改宗を拒否したスペイン系ユダヤ人「セファルディ」は、カトリック両王、フェルナンドとイサベルの勅令のために故郷を失い、幸せを失ってポルトガル北アフリカ、イタリアさらにはオスマン=トルコ帝国へ移住を余儀なくされた。≫14頁

≪マラーノ=豚。イベリア半島から追放されて以来何百年にもわたって世界的な移住の旅をつづける彼らは、スペイン語でそう蔑称された。≫14頁

コロンブスがイサベルとの間で協約書をとりかわしたのは、マラーノにとって決定的なスペインからの追放令が公布されてから、わずか一七日後のことであった。さらに提督コロンブスの率いる三隻の帆船がサルテス河口を主発したのは、一四九二年八月三日早朝というから、これはユダヤ教徒出国期限のわずか数時間後のことである。しかもこのカラペラ船三隻には、ひとりとしてカトリックの司祭が乗船してはいなかったのである。≫96-97頁

≪このようにユダヤ人を襲った破局という視点に立ってみれば、コロンブスの周辺から驚くほどの多数のマラーノが姿を現してくるのだ。コロンブスの西廻り航海案を審議する五人の諮問委員のうち、なんと四人までがマラーノだった。≫ 97頁

 書かれざるユーロッパ裏面史だ。知らなかったのは私一人だけかも。本はまだ前半。これからどう展開してゆくのか、ワクワク、いやさらなる知的刺激が次頁の裏に潜んでいるだろう、と格好つけたくなる。