一九五八年生まれ

 新年の挨拶に使った平松洋子平松洋子の台所」新潮文庫2008年初版を読んだ友だちから電話「わたしに似ている」。そう、ほんとに。これを読んで、私も微苦笑した。友だちの好みと重なるわあ。二人とも1958年生まれ。同年生まれの文筆家には坪内祐三姫野カオルコ松浦理英子みうらじゅんら、私の好みの人たちがいる。彼らの特徴は、常識から一歩踏み出した(踏み外した)地点に立って物事を見ていること。ついでに1966年生まれには昨日の古川日出男森奈津子。これまたすっ飛んで個性的な。私の生まれた1950年には夏目房之介吾妻ひでお。1950年生まれはスケベーなことに大いに関心がある、かな? いや、それはどの世代にも共通か。今読んでいる山折哲雄「日本人の情感はどこからくるのか」草思社2003年初版の「光源氏が『男』になったとき」の章には、橋本治の説が紹介されている。「源氏物語」に登場する「夫」たちはみんな若い十代。光源氏は、「十二歳で元服し、その元服の夜に左大臣家の姫である葵の上と夫婦になっている。この十二歳は数え年だから、いまの数え方でいえば十一歳。」「そのうえ元服の夜には、副臥(そいぶし)という女性がついて性の手ほどきまでした。」「要するにこの物語に出てくる男たちには、現代の若者につきものの『性的飢餓』がそもそもないのだ。」「ひりつくような性的飢餓感がなければ、マスターベーションをする必要もない。」

 ほう。そうなると、昨日記した「宮本武蔵」「青年の環」「アラビアの夜の種族」の主要人物は、活動舞台(時代)は違っても、まさしく現代の若者像ということになる。