昨夕、帰りがけにブックオフ長泉店で三冊。「文藝別冊 寺山修司」河出書房新社2003年、「文藝別冊 山田風太郎」河出書房新社2001年、「エラリー・クイーン」ぶんか社2004年、計315円。副題が「はじめての読者のために」とある「文藝別冊 寺山修司」についつい惹き込まれて読んでしまった。生前、寺山の演劇には惹かれなかったけど、詩歌には惹き込まれた。寺山修司個人にあまり関係のない記述が面白かった。榎本了壱の発言。
≪寺山さんが出てくるのは60年代ですから、サブカルチャーというよりもカウンターカルチャーの世代です。それが80年代になると対抗文化といった概念がなくなって、体制的なメインカルチャーと並走するサブカルになる。≫
≪そう、体制的なカルチャーの一部分に取り込まれる、あるいはそれがやがてメインカルチャーとなっていく。60年代から70年代のアンダーグラウンドというのは、地下に潜るイメージがあったけど、実は地下に根を張った面白い価値を掘り出していくという、文化のタケノコ堀り時代だったと思うんです。≫61頁。面白いけど後は略。
≪「アヴァンギャルドとは二十世紀の紋章だった」とは、極東の島国を大地震とテロリストの毒ガスが襲った年、一九九五年の二月に新宿で吉本隆明との対論中、ボードリヤールが司会兼通訳をつとめた私にふと洩らした言葉だ。≫110頁
寺山修司の亡くなった≪一九八三年から二○○三年までの二十年という歳月は、二十世紀の紋章を剥ぎとるのにじゅうぶんすぎる時間だったらしい。ポストモダンの流行からベルリンの壁の崩壊をへて9・11へと再び動き出した歴史の流れは、政治と芸術の前衛を溺死させてしまった。近代の岸辺を離れ、時代に先駆けて疾走するはずのアヴァンギャルドはとっくに失速し、世界は紋章をもたない時空をむかえたのだった。≫113頁
疾走するアヴァンギャルドは失速そして失踪した、か。赤瀬川原平流に言えば蒸発した。榎本了壱は1947年生まれ、塚原史は1949年生まれ。
午後、静岡新聞の取材。