朝は深い霧だった(ようだ)けど、すぐに晴天。どこもかしこも濡れている。雨が上がったばかりのよう。雨は昨夕には上がったので、霧がとても深かったようだ。おかげで冷え込まず、春の先触れのような陽気。昨日は雨にもかかわらず伊豆市や東京から来館者。K美術館にも春が近いかしら。それとも遅霜で……。ま、明日のことはワカラナイ。きょうのことだってワカラナイ。ワカラナイのはきょう明日のことだけではない、吉本隆明の詩「固有時との対話」だって難解。何回か読めば、それこそ百遍読めば自ずから通じると、久しぶりに都合三回読んだ。読んでいくと、構造というか、道筋というか、そういうカタチが、五里霧中の深い霧がうっすらと薄れ、日差しが差すように何かが見えてくる。面白いものだ。では、どのように面白いのか。一言では言えない。ふた言でも言えない。三言でも。結局は読んだ者たちの間で暗黙の了解を交わすのみだ。「読んだ? 読んだ。」読む行為のなかにのみ、了解されることがある。読むことで詩を体験する。その時間こそが大事。読むことは孤独の営為であり、読者個人の孤独な対話である。「固有時との対話」とは正確な題名だ。
≪わたしこそすべてのひとびとのうちもつとも寂寥の底にあつたものだ いまわたしの頭冠にあらゆる名称をつけることをやめよ≫