温かいけれど強い風

 南風が強くて、窓は締め切り。高階秀爾「日本近代美術史論」講談社文庫1980年初版の前半部、高橋由一黒田清輝青木繁狩野芳崖そしてフェノロサの章を読了。どの章も多くの資料を渉猟し、鋭い洞察を加えて、説得力のある論を展開している。

≪西欧の近代小説の理念が、日本にもたらされた時いつしか変質して私小説を生み出して行ったように、西欧の伝統的絵画理念は、日本にもたらされた時、いつしか変質して作者の周囲を断片的に写し出しただけのスケッチを生み出すこととなったのである。/このような変質に誰よりもはっきりと気づき、そしてそれを残念に思ったのは、ほかならぬ黒田清輝自身であったろう。≫「黒田清輝」102-103頁

≪したがってフェノロサは、たまたま狩野派に親しんで、たまたま芳崖に出会ったのではない。彼はかつて洋画や南画を拒否して狩野派に自己を賭けたように、この時も百八十一点の狩野派を拒否し、狩野派の仲間たちでさえそれほど高く評価していなかった芳崖の二点に敢て自己を賭けたのである。彼をしてそのふたつの賭をなさしめたものは、単なる偶然や「運命」ではなく、彼自身のなかに養われていた趣味の基準、すなわち彼の美学とも呼ぶべきものであった。今にして振り返って見れば、明治期のあの華やかな日本画復興の背後に、狩野派と芳崖というふたつの選択を通して、フェノロサの美学が夏の洋上の水脈のようにきらきら輝きながら浮き上がって来るのが見える。その跡を辿って行けば、おそらくはフェノロサ個人の趣味というよりももっと深い根を持ったものであろう。≫「フェノロサ」183頁

 「この時も」とは明治十七年の第二回絵画共進会のこと。以下、フェノロサについてその「深い根」を考究していく文章が続く。

 きょうの拾いもの。

≪生粋←これ「きっすい」って読むんだね。ずっと「なまいき」だと思ってた。≫