温かくて微風

 近所の川端の河津桜が咲き出した。高階秀爾「日本近代美術史論」講談社文庫1980年後半、岡倉天心横山大観菱田春草富岡鉄斎藤島武二そして山本芳翠を読了。これはいい本だ。横山大観の章。
≪時代の波は彼の鋭敏なレーダーに捉えられ、彼の内部の強力なエネルギーによって何倍にも増幅されて彼の画面に放出される。その意味で大観は時代を創る人ではないが、たしかに時代を代表する人なのである。/大観の発表する作品が一作ごとに強い反響を呼び、物議をかもすということも、逆に言えば、彼の作品がそれだけ時流に投じていたということである。≫255頁

 うーむ、スルドイ。菱田春草の章。「菊慈童」について。

≪このほとんど神秘的と言ってよい風景の拡がりは、もっぱら色彩の配合によって実現されている。ここでも、「落葉」の場合と同じように、統一的な視覚像としての遠近法表現はない。紅葉や緑の葉叢は純粋にその色彩表現によって画面の中に一定の場所を占め、その結果として画面には、見る者をもとりこんでしまうような奥深い虚構の空間が生まれて来るのである。遠近法やだまし絵の手法によらず、完全に色彩だけで確固とした空間を生み出す点において、セザンヌの晩年の風景と共通するものを持っているとさえ言えるのである。≫284頁

 この評言に、私は安藤信哉の晩年の水彩画を連想する。私は、安藤信哉の水彩画にセザンヌの水彩画との深い共通点──完全に色彩だけで確固とした空間を生み出す──を見出していた。

 ネットからの拾いもの。

≪ 実家の父からメールが届いた。内容は

  「メールの出し方を教えてくれ」 ≫