静かな朝

 未明まで降っていた雨が止んで静かな朝だなあ、人気もないなあと外を眺めていたら国旗が見えた。あ、そうかきょうは旗日。旗日。懐かしい言葉〜絶滅危惧語かも。雨が降っていないので自転車で。素敵に仕上がった白砂勝敏展(3月11日〜)の案内葉書を美術館へ持ってくる。白砂ご夫妻、さっそく受け取りに来館。

 高階秀爾「日本近代美術史論」で、最も印象深かったのは富岡鉄斎の章。≪これまで、日本の近代美術史を研究する者にとって、鉄斎はいささかあつかい難い相手であったようである。≫と高階は書いているが、私にも最も理解し難い画家。それを高階秀爾は見事に解説している。

≪したがって、彼を「画家」か「学者」かと割り切ることはできない。強いて規定すれば、天才的な表現力を持った偉大な人文主義者としか呼ぶほかはないであろう。/そして、その点にこそ、鉄斎が後継者を持たなかった最大の理由がある。なぜなら、近代美術は、就中近代絵画は、西欧のルネッサンスが創り上げた綜合的な人文主義的世界から造形性のみを独立させたところに成立するものだからである。≫331頁

≪事実、セザンヌは、ルネッサンス以来四世紀にわたる西欧絵画発展の歴史を自己の背後に持っていたが故に、自己のすべてを挙げて絵画における造形性の探求に賭けることができた。その意味では彼は、飽くまでも画家であって、学者でもなければ、いわんや行動家でもない。したがって、鉄斎の山岳の描法とセザンヌのサント・ヴィクトワール山のあるものとが、その力強い実在感においてよく似ていると云っても、それぞれの山が鉄斎とセザンヌに対して持っていた意味は、まったく違っていたはずである。≫331頁

 つづく展開はじつに見事。脱帽。

 きょうの拾いもの。

≪うちのおじいさん、きのう「ボケを予防する方法」という本を買ってきた。

 おじいさん、きょうも「ボケを予防する方法」を買ってきた。