やっと晴れ間の冬空

 静岡新聞に渡辺白泉の句碑が、教員として勤めていた沼津市立高校に建立の記事。「戦争が廊下の奥に立つてゐた」が刻まれている。これで句碑歌碑詩碑は全国では一体どれくらいになるのだろう。軽く一千は超えると思う。若い頃は句碑歌碑巡りをしようかな、と思ったことがあったけど、現在のように乱立するとそんな気は失せる。そんな碑ではなく、今では読まれなくなってしまった記念碑を訪ねるほうが面白そうだ。三島市でもそんな石碑はいくつも目にする。苺栽培の普及に尽力した先駆者を顕彰した石碑もある。ああ、石の風化よりも先に記憶が風化していく。

 高階秀爾「日本美術を見る眼」岩波書店1991年初刊を再読。彼の「日本近代美術史論」を読んだ後なので、以前よりも深く理解できた(気分)。今回就中印象的だったのは「西欧と日本における『視形式』の異同」。西欧絵画の基礎となってきた「ものの見方」と日本の「ものの見方」の違い、「空間表現と画面の自律性の問題」だ。

セザンヌが、画面の自律性と造形的秩序を追求しながら、しかもいかに現実に存在する「奥行」ないしは「空間」に憑かれていたかということは、「自然を円錐、円筒、球体によって扱うこと」というあまりにも有名な彼の言葉によっても裏づけられる。≫66頁

≪しかしそれと同時に、セザンヌの挙げた「幾何学的形体」のなかに、キュビズム(立体派)という名称のもととなったキューブ(立方体)が含まれていないといういささか皮肉な事実は、見逃すわけにいかない。≫66頁

≪しかし、円錐も、円筒も、球も、「平坦の正面」というものを持たない。それらは、どのような位置に置いても、表面はつねに背後に流れて行く。つまり、対象はいつもはっきりと奥行のある空間のなかに置かれているのである。≫67頁

セザンヌが三次元的な「視形式」を拒否したということにはならない。≫67頁

 西欧絵画は「三次元の存在をいかにもそれらしく画面に再現するやり方」に腐心してきた。それにたいして、日本の洋画は? フランスへ七年間留学して「瞠目すべきデッサン力を示した」安井曾太郎が帰国後二十年して描いた彼の代表作「金蓉」では「実際にモデルが占めている現実の場所に呼応するような空間表現」や「モデルのポーズからわれわれが当然期待するもの」が「充分に一致しないのである。」「『金蓉』と同じポーズを現実に再現するのは、相当に困難だと言ってよい。」

≪西欧の伝統的アカデミズムのデッサン法には充分に習熟していたはずの安井曾太郎が、である。そのことには、当然何らかの理由がなければなるまい。≫51頁

セザンヌが、その「革新的」な探求にもかかわらず、基本的な「視形式」においてアングルと共通していると言う事実は、ルネサンス以来の西欧の伝統的形式の持つ根強さを物語るものである。同様に、アカデミー・ジュリアンにおいて毎月賞を取るほど優れた西欧の伝統的技倆を示した安井曾太郎が、それにもかかわらず『金蓉』の「平面的マッス」に帰って行ったことは、彼の内部にあった日本的「視形式」のしぶとさを物語るものである。≫62頁

 デッサン力はあって、絵画作品になると「平面的マッス」になる絵画表現は安藤信哉も同様だ。対象を≪「平面的マッス」として捉え、それをいかに造形的に秩序づけるかということを課題としているのである。≫

 きょうの拾いもの。

ブックオフで文庫本「アンナ・カレーニナ」の上・下を買って読んだ。

 感動した。トルストイってすごい!と思った。

 翌日、本屋に行くと、中というのがあった。≫