雨だけど閑ではない

 昨日は午前中、沼津市の庄司美術館の大庭修二展初日へ自転車で行った。「グジャグジャになってしまいました」と言う新作が面白い。それまでの絵画は、画面構成の調和に心を配っているけど、新作では破調を恐れずに突貫、玉砕している。それまでの調和のかたちは残骸と化しているけれども、その次の構築へ兆しが感じられて、意欲作の好感がもてる。この新作がなければ、ふうん、で終わった展覧会だった。……構築なのだ。美術館へ戻り、眼に留まった「私の選んだ文庫 ベスト3」毎日新聞社1995年初版をパラパラと読んで奥泉光・選「ドストエフスキー」の結びに「そうだ、構築なのだ」と膝を打った。

≪こんな風には到底書けやしないと悲しくなりながらも、小説を面白くするのはやはり徹底的な構築への意志であると、意を強くしたのであった。≫

 描写力……構成力……構築力……構想力。

 調和……頂点……破調……予兆。

 こんな言葉が浮かぶ。そして芸術家の宿命と資格を思う。この二つは、遺伝子の二重らせんのような構造をしているのか。あるいはメビウスの輪のような構造か。セザンヌや安藤信哉の絵画作品を前にすると、こんな言葉の連鎖が思い浮かぶ。

 昨夕、帰りがけにブックオフ長泉店で二冊。霞流一杉江松恋「浪人街外伝」宝島社文庫2004年初版、有栖川有栖ほか「気分は名探偵」徳間文庫2008年初版、計210円。

 雨だけど徒歩で来る。途中の道では白木蓮が咲き出した。さくらんぼの木が満開。菜の花が満開。美術館の花壇ではエリカが満開。午後、東京から来た人を源兵衛川に案内。水の苑緑地でカワセミに遭遇。カワセミは枝に止まって、そのそばのコサギは水面から小魚を狙っている。コサギは嘴を水中へ突っ込み、カワセミは水中へ突っ込み小枝に戻る。さらに下流にいくと、別のカワセミだろう、上流へ飛んでいった。まったく背中が美しい。

 ネットの拾いもの。

≪「女との雑談で『休日何してるの?』って聞かれたらデート誘ってるサイン
 だからな。見逃すなよ。」
 って、あるけれど、
 引越しの手伝いだったりするかもしれない。≫