4月12日(月) 休館日

 昨晩は境川・清住緑地愛議会の総会へ出席。総会後の講演で、山口康弘(環境省 環境カウンセラー)氏がこの緑地を絶賛。それから将来にわたる湿地維持のために先手を打つことを提案される。すなわち、伊豆一碧湖に自生するチョウジソウをあそこの場所に植える、ズミやチシャの木をあそこに植えると、一層生物多様性が維持される、と具体的に提案される。湿地が変わらないために少しずつ変えていく。今読んでいる武正秀治「デザインの煎じ薬・全十三包」美術出版社2003年初版、88頁。

≪あるとき、久しぶりに訪れたお客さんが、美味しそうにラーメンを食べ終えるとご主人にこう言ったそうです。「この味、昔とちっとも変わらないなあ」。これを聞いて、ご主人は、会心の笑みを浮かべられたそうです。で、普通はここで、昔とひとつも変わらぬ製法を頑固なまでに、守り続けるご主人の姿を想像しますが、実はその反対なんです。つまり、「昔とちっとも変わらない味」のために、味を微妙に変えていたんですね。≫

 きょうは静岡新聞朝刊が休みなので、昨日の新聞読書欄を読む。日暮聖「近世考」影書房の、海野弘・評。

≪「日本の近代は、近世を視野の外においてきました。」ということばにはっとさせられる。これは芸術史でも同じで、江戸の美術の評価はひどくおくれていた。なぜかといえば、近代は近世を前近代として否定することで西欧化しようとしていたからである。≫

 これは、二十世紀前半の伝統的木版画にもいえることだ。油彩画水彩画の興隆、日本画の革新運動、創作木版画ばかりが話題にされ、江戸以来の伝統木版画は、ほとんど黙殺されている。二十世紀の美術史を見直す時期に来ていると思う。

 雨なので昼前に雑用を済ませ、午後はゆっくり過ごす。昨夕ブックオフ長泉店で105円で買った、鈴村和成訳編「ランボー詩集」思潮社2009年3刷は活字印刷のようだ。紙面が裏の活字に押されて浮きだっている。ランボーって、Rimbaud と書くんだ。