やっと晴天

 美術館以外の用事に忙殺されて、毎月1日と15日にする排水の掃除をすっかり忘れていた。何かに気を取られていると、何かを忘れてしまう……記憶の容量が少ないのね。ボケじゃないよね。そういや、財布に千円札五千円札が無造作に折られパンパンに詰め込まれている。ウッソー。焦る。ああ夢か。この場面だけようく覚えている。

 昨夕帰りがけにブックオフ長泉店で三冊。小野不由美「くらのかみ」講談社2003年初版函付、榊莫山「続 書のこころ 路傍の書」NHKライブラリー1999年初版、歌野晶午「密室殺人王手飛車取り」講談社文庫2010年初版、計315円。

 静岡新聞昨夕刊に梅原猛の追悼文「井上ひさし氏の業績」。

≪私は井上氏を真の意味の喜劇作家であると思う。(引用者:略)日本には、笑いとともに社会の矛盾を深くえぐるような喜劇は、なかった。(引用者:略)井上氏は日本において初めて本格的な喜劇を創造した作家であったと思う。≫

 川上弘美「真鶴」文春文庫2009年初版を読んだ。三浦雅士の解説から。

≪『真鶴』は、現代に通用している普通の言葉でいえば、十二年前に夫が失踪したために精神を冒されかけた女性が、母と娘の三人暮らしのなかで、幻視幻聴に悩みながらも、自力で回復にこぎつけるほぼ一年間の、すなわち春、夏、秋、冬、そして翌年の春までの、苦悩の物語ということになる。そんな精神を癒す場となったのが真鶴だ、と。誰もが、ウッソー、と叫ぶに違いない。真鶴での幻想の場ほうがリアリティに満ちているからだ。(引用者:略)そして以下、現実と幻想が綯い交ぜになって、現実以上に現実的な光景が展開してゆく。≫

 小説を読んでいて既視感を覚えた。河野多恵子「不意の声」講談社1968年初刊だ。「あとがき」から。

≪この小説の主人公にとっては、非現実なもうひとつの世界は、現実生活と全く変わらぬ鮮明なリアリティをもっている。その両者をそなえた世界こそ、彼女にとっての本当の現実なのだ。従って、ふたつの世界のリアリティは同質のものでなければならなくなる。(引用者:略)私は「同質の現実的なリアリティ」に執着せずにはいられなかった。≫

 三浦雅士は解説で、古井由吉金井美恵子吉田健一三島由紀夫らを挙げているが、河野多恵子には何も触れていない。

≪『真鶴』は「分裂病」の病態をモデルとして用いることが、現代人の心を描くにきわめて自然であることを明示している。≫

 どうして「不意の声」に言及しないのか、不思議だ。河野多恵子「不意の声」と川上弘美「真鶴」。腰を据えて比較検討すると、じつに興味深い成果が生まれると思うが。だれかやっているかもしれないな。

 ネットの拾いもの。

タイガー・ウッズがマスターズ復帰ってんでニュースもあれやこれやと騒いでるが、そもそもタイガーって、日本語で言えば「寅さん」なんだから、女性に弱いのはこりゃもうしょうがないと思う。≫