逝きし世の面影

 名のみ久しく、手にとること能わなかった渡辺京二「逝きし世の面影」平凡社ライブラリー、おもむろに読み始めると、これがやったら面白い。ゆっくり読んじゃあいられねえワクワク気分。幕末〜明治初期に来日した西洋人たちの書き遺した文献から「逝きし世の面影」を再現、「それからの失ってきたものの意味を根底から問うた大冊」。とりあえず「第一章 ある文明の幻影」から。

≪彼らの賛辞がどれほど的はずれであり、日本の現実から乖離した幻影めいたものであったとしても、彼らはたしかにおのれの文明と異質な何ものかの存在を覚知したのである。幻影はそれを生む何らかの根拠があってこそ幻影たりうる。私たちが思いをひそめねばならぬのはその根拠である。≫52頁

≪数々の異文化と接触して来たこの旅行作家にとって、日本がとびきりの珍味であったとすれば、それにはやはりそう感じさせる根拠ないしは機縁がなければならない。≫54頁

≪だがこういう西洋人の日本に関する印象を、たんなる異国趣味が生んだ幻影としか受けとって来なかったところに、実はわれわれの日本近代史読解の盲点と貧しさがあったのだ。≫59頁

 物見高いは人の常。

≪ブラックのいう「むきだしだが不快ではない好奇心」についても、その例は枚挙にいとまがないほどだ。≫「第二章 陽気な人びと」85頁

≪バードは東北旅行中、物見高い群衆になやまされつづけた。(引用者:略)秋田県湯沢では、見物人がのぼった隣家の屋根が落ちた。神宮寺の宿屋に泊ると、夜なか人の気配で目がさめた。約四十人の男女が部屋の障子をとり去って、バードの寝姿に黙って見入っていたのである。(引用者:略)だがバードは、この物見高い群衆が彼女に失礼な真似をすることなどけっしてないことに気づいていた。≫「第二章 陽気な人びと」86頁

 1857年≪江戸入りの当日、品川からハリスの宿所である九段坂下の蕃書調所まで並んだ見物人を、彼は十八万五千人と推定した。≫「第三章 簡素とゆたかさ」121頁

≪だが実は、日本人自体が欧米人から見れば大きな子どもだったのである。若者たちが、いや若者どころかいい大人たちが、ちいさな子どもたちに交って、凧をあげたり独楽を廻したり羽根をついたりするのは、彼らの眼にはまことに異様な光景に映った。≫「第二章 陽気な人びと」87頁

 遠州浜松の凧揚げ合戦なんか、どう映るんだろう。カワイイ〜コスプレなどの海外への波及を見ると、日本は東洋文化の一部ではないし、日本「江戸」文化衰退後百年あまりの潜伏期を経て、日本「現代」文化という独自の愉快な文化圏を形成してきたのではと、思う。何世代にもわたって戦乱のなかった江戸時代に形成された日本「江戸」文化。そして半世紀以上戦乱に巻き込まれなかった現代日本。貧乏だけれどもそれを苦にしない(貧困ではない)文化の時代への端境期に今、ある気がする。

 ネットの拾いもの。

≪「ありゃあ、船頭多くして船頭山に登る、だなあ」
 「船頭の遠足かよ」≫