内田公雄展初日

 小雨なので徒歩で来る。静岡新聞記者、内田公雄展の取材に来訪。初めて見る内田氏の抽象画に興味津々の様子。

 笠間市立竹喬美術館から深沢幸雄展図録「銅版画の名手 深沢幸雄の軌跡」を恵まれる。総175頁の立派な本だ。「謝辞」に私の名前も。これは嬉しい。

 四方田犬彦「『かわいい』論」ちくま新書2006年初版を途中まで読んだ。

≪わたしの知るかぎり、このプリクラに唯一着目した「大人」は、今は亡き種村季弘だった。理想の少女と肌を寄せ合いながら、狭い秘密めいた空間に二人っきりで、それも永遠に住むことができたとしたら、どれほどすばらしいことか。彼は一九九七年、つまりプリクラ誕生わずか二年後に刊行された書物のなかで、そうした意味のことを空想している。恐るべき炯眼である。生涯を贋物と自動人形を愛することで過ごしたこの稀代の文学者は、このわずか数百円で実現できる仮初(かりそめ)のユートピアが、本来的に幸福さのチープ・イミテーションに他ならないことを見抜いていて、それゆえにいっそうプリクラを支持したのだと、わたしは睨んだ。≫106頁

 種村季弘(すえひろ)氏が「炯眼」の主であり「稀代の文学者」であることは疑いない。神谷町〜大磯〜湯河原と移られたお住まいを訪問したり、一緒に三島沼津を飲み歩いたり、思い出は尽きない。K美術館にも来訪された。季刊誌「版画芸術」の編集部と三島駅で待ち合わせした時、偶然種村氏から声を掛けられた。しばらくお目にかからないうちにお痩せになったなあと思ったが、それが癌のせいだとは、その時は知らなかった。未亡人も亡くなった。しかし、御令息が銀座で営む画廊で味戸ケイコ展が催されるとは。運命のめぐり合わせか。

 ネットの拾いもの。

≪マグロが大きくなるとイルカになって更に大きくなるとクジラになるの?≫