モダニズム美術史

 宮下誠『20世紀絵画 モダニズム美術史を問い直す』光文社新書2005年、ジャケット折り返しの惹句から。

≪本書では「具象/抽象」「わかる/わからない」の二元論に終止符を打ち、≪旧東独美術≫も視野に収めた新しい解釈パラダイムを提案する。≫

≪本書は、芸術を好き嫌いではなく、いわば「より良くわかろうとする」真摯でジェントルな読者のための20世紀美術案内であろうとしている。≫「はじめに」より

 120点余の作品について一つひとつ熱っぽく語っている。が、既成の解釈とは違った見方、切り口を大胆に提示しているわけではない。私の見方と違っている作品は、当然ながらある。私の自前の基準は、その絵が「すごい/つまらない」のどこに位置するかである。

 欧米の絵画の洪水のなかで藤田嗣治の大作『アッツ島玉砕』1943年が目を惹く。この絵は東京国立近代美術館の人気のない常設展で観た。藤田嗣治の最高傑作の一つ、すごい絵だと実感。宮下誠が書くように≪エネルギーに満ちた傑作である。≫ が、本書では『アッツ島玉砕』の図版だけが四角い枠線に印刷されない白い面をさらしている。

≪既にお気付きのように、この項には表題作が図版として提示されていない。何故このように奇妙な「不在」が出来したのか? そのことを考えること、そのことが戦争画の「オントロギー」(存在論)を考える「はじめの一歩」ではなかろうか? 「不在」による「存在論」。これ以上に逆説的な「絵画」は、本来デュシャン以外に生み出せないはずだ。『アッツ島玉砕』はその意味で一つのコンセプチュアルアートたりうる「風格」をそなえている。≫311頁

 もってまわった言い方だ。興味深い発見。口絵のフランツ・マルク『動物の運命』1913年は、岡本太郎『森の掟』1950年の本歌ではないか。

 ネットの拾いもの。

≪「タイの大学のトイレが男性用、女性用、おかま用の3つに分かれているのを

  テレビで見たことがある。」

 「よくかんがえたら更衣室やトイレが性別で分かれてることがおかしいよな。

  全部無くしちまえばみんなが幸せになれるはずだ。」

 「幸せになれるかもしれんが、目もあてられない光景が目に浮かぶw」