紙幣死蔵

 朝、グラウンドワーク三島による雷井戸の補修作業の手伝いを少しして一風呂浴び、美術館へバスで来る。梅雨の晴れ間。暑い。

 リーアン・アイスラー『聖杯と剣 われらの歴史、われらの未来』法政大学出版局1991年初版を読了。松岡正剛『フラジャイル』筑摩書房1995年に以下のように紹介されていたので本棚から取り出して読んだ。

≪これまでは歴史におけるパートナーシップとかパートナー・ネットワーキングはほとんど注目されてこなかった。(引用者:略)リアン・アイスラーが『聖杯と剣』1987で男女共生進化論を提案しようとしたのもパートナーシップの重視だった。≫

 パートナーシップは、グラウンドワーク三島の鍵言葉だ。この本は有史以前から現在までの悠遠な歴史における男女の関係を、最近の発掘資料を手懸かりにして、歴史へ新たな光の深い洞察を加えることによって大胆な新解釈、壮大な読み替えをするというもの。歴史の相はガラリと変わる。これは面白い。興奮させる内容だ。フェミニズムの聖書みたいな本かな。フェミニズム、言葉だけ知っていたけど、こういうことか。聖杯=女性→協調形態社会、剣=男性→支配者形態社会。

≪しかし、『聖杯と剣』はただ単にわたしたちの過去、生まれついて悪人であり欠点のある人間のことを物語っている神話について、根本的に再検討しただけにとどまりません。なによりも大切なことは、この本が──わたしが協調形態社会ないしそれに代わる支配者形態社会と名づけたものの関連において、わたしたちの未来の可能性を根本的に再検討してみせたところにあるのです。≫「日本語版への序文」から

≪人間の進化は今、十字路に立っている。赤裸々に本質をむきだしていえば、人間の中心的な仕事は、われわれ人類が生き残り、人類特有の潜在的将来性が発展するのを促進するために、いかに社会を組織するかということである。本書の進行のなかで、男性支配制はこの要請に応えられないことが明らかになった。この制度は内的必然として破壊の技術を強調せずにはおかず、社会管理の手段として暴力に依存しないではいられず、それが基づいている支配=被支配の人間関係形態によって、緊張は慢性的に発生しないではいないからだ。本書はまた、死をもたらす≪剣≫ではなくして、生命を支え高める≪聖杯≫によって象徴される女男結合制ないし協調形態社会こそ、実行可能な別の選択の道を提示していることも明らかにした。≫319頁

 映画『スターウォーズ』に惹かれなかった理由がこの本でわかった。

ジョージ・ルーカスの『スターウォーズ』にせよ、そこにしばしば見られるのは、実は銀河系間の高度技術(ハイテク)戦争の世界に移しかえられた封建時代の皇帝や中世の領主たちの社会組織にほかならないのである。≫317頁

 ネットの拾いもの。

≪ 大量の二千円紙幣が日銀の金庫に積まれたままのようだ。

 俺が処分しとくからくれ 。

 1980円札のほうが使われたんじゃね?

 喉が渇いて死にそうなのに財布がカラで非常用に定期入れに入れてあった二千円札思い出して自販にぶちこんだけど戻ってきたでござる。 ≫