風貌談

 昨夕帰りがけにブックオフ長泉店で四冊。『風貌談 男優の肖像』文藝春秋1996年初版帯付、荒井献『イエス・キリストの言葉 福音書のメッセージを読む』岩波現代文庫2009年初版、大庭健『私はどうして私なのか 分析哲学による自我論入門』岩波現代文庫2009年初版、神崎宣武『三三九度 盃事の民族誌岩波現代文庫2008年初版、計420円。

 『風貌談 男優の肖像』は、日本人十人、外国人二十人、計三十人の映画男優について三十人の男性物書きが、書く。男VS.男。男優の魅力を他の二十九人とは異なった視点から気の利いた言葉で描こうと、それぞれが苦心の文章を載せている。だれもそんな気負いと苦労を垣間見せないところは、流石物書きのプロ。こういうアンソロジーでは、まず執筆者を選んで読む。都筑道夫「自分の影を消す」は宮口精二( 1913-1985 )、矢野誠一「三井弘次余滴」は三井弘次(こうじ 1910 -1979)。尾辻克彦赤瀬川原平)は「ルイ・ジュヴェであること」、泡坂妻夫は「チャニング ポロックの至芸」。四人とも知らない男優だ。

 掉尾を飾る泡坂妻夫に惹かれて買ったので、まずはこれから。チャニング・ポロック(1926-2006)は、本職は奇術師。仕掛けのある道具などに頼らない、指先だけの手練技のスライ・ハンド・オブ・マジックの名手。

≪芸が終っても頭がぼうっとして、なかなか酔いから醒めることができない。≫

 そのイタリア映画『ヨーロッパの夜』1961年封切は、小学生の自分にはそのきらびやかで妖しい、大人の夜の世界の看板が目の毒だった。性に目覚める頃の思い出。

≪技術は磨くほど向上する。(引用者:略)しかし、ふしぎなもので、芸はスポーツではない。どんなに技が向上しても、人は感心はするが、感動はしない。舞台に立ったときのポロックの魅力を凌ぐ者はついに現れなかった。≫

 都筑道夫「自分の影を消す」。

宮口精二を、最初に好きになったのは、フランスのルイ・ジューヴェに似ている、と思ったからだ。≫

≪戦後、ジューヴェの映画が、いくらも入ってきて、旧作の再上映もあった。宮口の舞台と映画も見た。すると、似ている、という感じは、さほどしない。つまり、味のある脇役俳優が、好きだったわけで、私が生意気な、ひねた餓鬼だった、ということだろう。≫

 尾辻克彦「ルイ・ジュヴェであること」。

≪『どん底』にはそのジャン・ギャバンが泥棒の役で出てくるんだけど、その前に映画のはじめからぜんぜん知らないルイ・ジュヴェという蛙みたいな俳優が出てきて何だか圧倒されたもんだから、印象としてはジャン。ギャバンが霞んでしまった。 ≫

≪ぼくの二十歳くらいのときの経験である。俳優とか女優というのは美人かハンサムかということだけが問題なのかと思っていたけど、そうじゃない俳優の魅力を知った。ルイ・ジュヴェはほとんどその初体験じゃないだろうか。≫

 矢野誠一「三井弘次余滴」。

≪戦後は水の江瀧子の劇団たんぽぽ、空気座から、日本映画最盛期の一九五ニ年に松竹大船の専属になったベテランバイプレーヤーで小津映画のレギュラーメンバーとしても知られている。≫

 野暮用が粋な時間に入ってきて、まとまった読書時間がとれない。と嘆くきょうこのごろ、いつか一度は読もうと思っている小説にジョイスユリシーズ』とプルースト失われた時を求めて』の二大長編がある。前者は新訳単行本全三巻を持っているけど、後者はまだ。九月から高遠弘美の訳が出ると聞いた。これに期待。

ネットの拾いもの。

≪単十二って、どんなにちっこい乾電池だよ。 ≫

≪勝てる!と思った瞬間から負けが始まる。

 負ける!と思った時は?≫