桜井文庫

 きょうの『ゲゲゲの女房』には戌井(いぬい)さんと奥さんが登場。モデルの桜井昌一が出版した桜井文庫水木しげる本が出ていた。美術館で読めます。

 遠山啓(ひらく)『文化としての数学』光文社文庫には、目を見開かせる鋭い見識が散りばめられている。その一部。

≪このように抽象という人間活動そのものが、強い方向性をもっており、それがその時代の社会の支配的な思考方法に深く影響されるであろうことはむしろ当然すぎることであろう。≫73頁

≪私は、数学が若干の公理系から導きだされる自律的な体系だという見方に反対する。そのような見方にたいして、数学は自然や社会を反映する客観的な知識であると主張したい。≫79頁

≪わが国の数学が偉大な一九世紀を経験しなかったことは不幸であった。西欧の数学者がわれわれにまさっている点のひとつは、彼らが一九世紀の伝統を身につけていることではなかろうか。≫142頁

≪われわれのなすべきことは一九世紀数学全体を貫いている論理をぬきだして、それを一つの方法論にまで高めることであろう。≫143頁

 明治期に始まる黒田清輝らの西洋近代絵画の摂取の拙速性へ、思いがつながる。彼らは技法の獲得だけに汲々としていたように見える。以下読んでいくと、数学の歴史と美術の歴史は双生児のように密接に関連しているように思えてくる。

≪さきに述べたように、近代数学のおもな傾向は自然模写的であったが、幾何学基礎論はその傾向を決定的に否定することから出発したのである。≫165頁

≪それは人間の構想力を自由に発揮して、新しいものをつくりだすことを意味していた。≫165頁

≪われわれの関心事は「なにか」ではなく、「いかに関係するか」であり、その関係の型が重要なのである。≫171頁

 以下の文章の流れからは、セザンヌから安藤信哉へと至る絵画の発展、受け渡しを感じる。

 ネットの拾いもの。

≪怖い話して

 怖いからやだ≫