成る作家/作る作家

 昨晩ブックオフ函南店へ自転車を走らせる。行って正解。ハリー・クラーク・絵『アンデルセン童話集』新書館2005年初版函付500円、新庄節美『名探偵チビー 首なし雪だるまの謎』講談社1994年初版150円、赤江瀑ニジンスキーの手』角川文庫1974年初版105円、北村薫紙魚家崩壊』講談社文庫2010年初版105円、計860円。

 赤江瀑ニジンスキーの手』角川文庫は出た当時読んで感嘆。表紙が汚くなってしまい、気になっていたところへ新品同様の古本。嬉しい。1982年の講談社文庫では『獣林寺妖変』と題名が変わっている。角川では中井英夫講談社では松田修が力の入った素晴らしい解説を書いている。結びの言葉。

≪この一冊はいわば全ページが"殺し蜜狂い蜜"であり、そのとき読者はまた独者であり毒者にほかならない。≫ 中井英夫

≪あなたの「獣林寺妖変」を持つ、これほど恐ろしくも楽しい作業があるだろうか。≫松田修

 松田修は作家には二つの型があるという。

≪陽光裡、あるがままの現実に即し、充ちくるものを溢れとめる型と、おのずからなる豊穣を拒否して、ことさら闇の異形を宙宇に刻みこむ型と。前者は成る作家であり、後者は作る作家である。≫

≪分娩と造型、自然と人工。優劣をいずれと問うのは愚かといえよう。勿論、文学史は、つねに前者の側に立っていた。それは永劫の多数派であり、正統派である。後者は少数派であり、異端派である。≫

赤江瀑氏はいうまでもなく昭和四十年代五十年代の後者に属するもっとも輝かしい一人である。≫

 中井英夫松田修も同類だ。そしてハリー・クラーク Harry Clarke も。きのう買ったアンデルセンの挿絵もいいが、エドガー・アラン・ポーの挿絵は勝るとも劣らない。

 午前中は源兵衛川の月例清掃。例年になく水量が多いので、ゴミ拾いはちょっと。後は水辺のジュズダマの草刈り。モニタリング調査をしている人がいたので訊くと、流れが早いので小さな生き物が少なくなっていると。三島梅花藻だけはえらく元気ですごく増えている。外来種のハーブ類は去年と違ってほとんど見当たらない。この変化は興味深い。

 鮎川哲也、三番館シリーズ第二集『サムソンの犯罪』創元推理文庫2003年初版、読了。感想は明日(多分)。

 ネットの拾いもの。

≪30年ぶりのクラス会に出席してきたという女性からのメールを読んで夜中に大爆笑。「女はみんなそれなりに化けて集まったのに、男は好き勝手に太ったりハゲたりしていた」≫