熊本/ヴェネツィア

 昨日、熊本からつりたくにこを観に来られた46歳の男性の話を伺っていて、いろいろ感じた。九州、沖縄には行ったことがない。和歌山県、石川県、富山県新潟県にも行ったことがない。岐阜県山口県山形県は列車で通過しただけ。日本国内でも足を踏み入れたことのない県はこんなにある。これから行くことがあるだろうか。ないだろうな。海外はフィリピンへちょこっと行ったきり。以前はワシントンのナショナル・ギャラリーへ行きたかった。フェルメールの「天秤をもつ婦人」をじかに観たかった。その一点のために行きたかったけど、大阪市立美術館にやってきた。まさに幸運の女神が微笑んだ。展示が始まったばかりだったので、会場は空いていた。独り占め〜の気分で対面、堪能。行くことはないだろうけど、行ってみたいところはヴェネツィア

 大竹昭子須賀敦子ヴェネツィア河出書房新社2001年初版を再読。この前読んだ時には何を見ていたのか、今読むと心にぐっと深い印象が刻まれる。須賀敦子の文章は、ヨーロッパの石畳をコツコツと歩いてゆくような響きがあることにあらためて気づく。須賀敦子の本を読んでいたときには湿気の少ない文章だな、と感じた。

≪石が養ってくれたもの、それは「だれも自分の欲しいものを察してなんかくれない土地柄に向って立つ力のようなもの」だった。石の感触は須賀のヨーロッパ体験を支えてきた柱だったともいえるだろう。≫46頁

≪なにごとを理解するにも時間をかけるのが須賀敦子のやり方だった。いや、かけるんじゃなくてかかってしまうのよ、と主張する声が聞こえてきそうだが、知識で理解するのではなく、対象の前に素の状態で立ち、感じたものを手がかりに肉体的に受容しようとつとめた。事前にガイドブックを読むことはなかったようだが、それも、知識が入りこんで感覚が曇るのを恐れたからだろう。知識は他人が開拓したものだが、感覚は自分だけのものであり、感覚の地図が描けたときにはじめて知識が生き、対象が自分のものなるのだった。≫30頁