士農工商

 昨晩はグラウンドワーク三島の忘年会。女子大学院生に受け、女子大生には受けなかった小咄。

《鉛筆と掛けてなんと解く? キャミソールと解く。》

《その心は?》

《ちょっと薄いところがHです。》

 昨日の続き。橋本治「彼は一体なにを怒っていたのだろうか?──平賀源内考」から。

《百姓(農)とは「税金(年貢)を支払った後で、その米(彼自身の手になるものである)を消費することは勝手である」という保証を政府から受けているものである。だから勿論、百姓自身の労働が無報酬であるのは当然である。職人(工)は、自身の労働に対して賃金を要求するものであるからその下で、商人は"なんだか分からないこと"を代表しているのだから"どうしようもないもの"なのである。士農工商という序列はそういうものだ。》

 士農工商の意味がやっとわかった。以下、《武士(である浪人)平賀源内》の立ち位置がみごとに論述される。脱帽。

《自分を取り巻く制度という構造がどんなものかを考えてこそインテリなのに、この平賀源内は怒ってばかりいる。甘えてばっかりいる。それを珍重なんかされたりして。》

《平賀源内の"人気"は、「日本にもなんだか分からない人がいた」という、そのことに尽きているように思われる。》

 この「平賀源内考」は、元本の『江戸にフランス革命を!』青土社1989年には未収録。文庫本に追加収録されたもの。元本は画竜点睛を欠く、と言いたくなる。明日へ続く(つもり)。

 東京から初めて来館された方に河鍋暁斎国芳を組み合わせたカレンダー(東日本鉄道文化財団)を恵まれる。持参された明治大正の絵葉書に魅了される。初めて見る小原古邨、川瀬巴水、高橋松亭らの絵葉書。眼福眼福。こちらが収蔵している彼らの木版画をお見せする。喜ばれる。嬉しい時間だ。