十九世紀の小説

 つりたくにこ展に土曜日、東京から来館された素敵な女性、コミックマーケット創始者米澤氏の未亡人だったことをネットゲリラ氏の記事で知る。

《土曜日に、たまたまコミケットの米澤未亡人が来ていたんだが、》

 K美術館で待ち合わせをされ向いの鰻屋へ食事に行かれた。

 吉田精一『文学概論』おうふう1980年初刊、1998年11刷、「ニ 小説」から。

《小説はふつう二つの大きい種類に分けられる。英語でいうと一つは novel(現実小説、短編小説)で、他の一つは romance (伝奇小説、長編小説)である。》

《「ノヴェルは実生活および風習の絵であり、ロオマンスは起こったこともなければ、また起こりそうもないことを、雄弁宏辞をもって描いたものだ」》

《けれども、十九世紀にはいると、ロマンスは次第に減じてノヴェルが支配的になってきた。》

《十九世紀の小説と二十世紀の小説との相違は、この意味のクリティシズムの有無もしくは濃淡にかかっているといえないことはないほどである。》「四 評論」より

《この説の根拠は古くアリストテレスまでもさかのぼりうるのであって、アリストテレスが、芸術の本質を「模倣(ミメシス)」としたのも。実はほぼこの意味である。それは単なる表面的な事実の模倣ではなく、余人に見得ない対象の本質を「模倣」することによって、現実の存在のもつ意味を拡大して見せるのが「模倣」であった。》

 二十代から気になっていた模倣=ミメシスの意味がやっとわかった。一昨日の毎日新聞「私が選んだ今年の秀句」、西村和子の選から一句。

《 うすらひや天地もまた浮けるもの  行方克巳 》

 うすらひとは薄く張った氷のこと。寒い中、忘年会たけなわ。こんな書き込み。

《ホームの真ん中で、背広姿の酔っ払いが、既に横たわっていた。そこへ、陽気に酔っぱらった若い男がやってきて、駅の伝言板(まだあった時代だね)から拝借したのだろう、白いチョークで、横たわった男の周囲に、人型のラインを描いて死亡現場を作っていた。》