マンガのモデル

 つりたくにこさんと一緒に東京大泉でアパート暮らしをしていた女性が高砂市からお友達と来館。展示を「懐かしい〜」と喜ばれる。ガロを手に取り、「ここのベタ塗りは私がしました」。また、マンガのモデルをいろいろ教えていただく。マンガ家のあすなひろしがあの人物のモデルだったとは。マダム・ハルコにもモデルがいたとは。へえ〜、の連続。

 吉田精一『文学概論』より。

万葉集はあれだけの大歌集でありながら、漢語を歌の本文中に使用した例は、四千数百首中、わずかに十語内外である。》「詩」より

《ところがこのタブーは俳諧において破れた。(引用者:略)これが蕪村まで下るといっそう漢語が多くなるのは周知のところであろう。》「詩」より

 知りませんでした。

《明治時代は漢語漢学の復興時代でもあり、また西洋の飜訳は自然漢語の多用となってあらわれたから、この時代に新生命を旧来の詩形にうちこもうとした歌人俳人はどちらも、漢語を用いずしては、衝迫する感情や社会の風物をうつすことができなかった。蒸汽車を「むしけぐるま」とか、鉄道を「くろかねのみち」、郵便を「かりのゆきき」などといっていては、とうてい歌は現代の詩となりようがなかったのである。》「詩」より

《だいたいが日本人は芸術的な国民であるが、文化全体には絵画的な色彩が強い。聴覚的よりも視覚的である。このことは過去に相当な美術をもっていても、ロクな音楽がなかったことによって証明される。》「小説」より

 たしかに。

 ネットの見つけもの。

今上天皇って誰だよ。いつの間に平成終わってたんだ 。》

《彼氏がこんなに○○だとは知らなかった。印象が540度変わった。》