永遠をめざす

 きょうは展示に使った額を収納。

 長年の不明が、快刀乱麻を断つようにはっとワカル、解決することがある。一昨日の愛と恋の違いが典型例。長々しい言い回しから簡潔簡明な言葉に。昨夜、何か本を読もうと、積読本の山を崩して小沼丹『懐中時計』講談社文芸文庫を出したけど、違うなあ、と返す。目に止まった小西甚一『俳句の世界』講談社学術文庫を手にする。疲れ気味のときは俳句や短歌がよろしい。未読だった「はじめに」を読んで、ああ!と手を打つ(そんな気持ち)。「藝術」とは。

《有限な人間が「永遠」につながりを付けようとする努力のひとつだ──と存ずるのであります。》

《さて、その「永遠」につらなってゆく行きかたに、ふたつある。ひとつは「完成」をめざすもの、他のひとつは「無限」にあこがれるものである。》

《完成をめざすものは、ちゃんと出来あがって、それ以上どうにもならない在りかたで「永遠」につらなってゆく。》

《無限なるものにあこがれる行きかたは、どこまでも新しいものにたち向ってゆく。それは停(とど)まるところを知らない。「これまで無かったもの」が、限りなく追求されてゆくのである。その結果、みがきあげる暇がない。だから、しばしば粗雑でもあり、不安定でもあり、ときには下品でもある。》

 完成をめざす在りかたが「雅」、無限にあこがれる行きかたは「俗」。藝術がこう明解に語られるとは。感服。還暦になってやっと腑に落ちた。

 主婦のつぶやき。

《あまりにキレイになったガスコンロ、せめて一晩はこのままの姿でいさせてやりたいので、夕飯は出前をとることにした。 》