「世間」とは何か

 阿部謹也『「世間」とは何か』講談社現代新書1996年5刷を読んだ。世間は個人と社会の間にある。この視点を取り入れた時点で、本はもう成功したも同然。

《世間は実態であり、今でも世間のために死に追いやられる人もいる。》14頁

《日本人は自分の名誉より世間の名誉を大事にしているのである。》21頁

《欧米人は日本人のことを権威主義的であるとしばしばいう。権威主義的とは威張っているということではない。自分以外の権威に依存して生きていることをいうのである。その権威が世間なのである。》24頁

《欧米の社会という言語は本来個人がつくる社会を意味しており、個人が前提であった。しかしわが国では個人という概念は訳語としてできたものの、その内容は欧米の個人とは似ても似つかないものであった。》28頁

《わが国には人権という言葉はあるが、その実は言語だけであって、個々人の真の意味の人権が守られているとは到底いえない状況である。こうした状況も世間という枠の中で許容されてきたのである。》30頁

 という『序章「世間」とは何か』は、身近な人たちの心の構造を鋭く抉っている。同感しきり。私自身、私の考えを「世間体が悪い」「世間じゃ通用しない」と諭され、諦めさせられる悔しい思いを何度もしてきた。

《日本の歴史の中では、古いものが堆積し、整理されることがない。しかし、同時に新しいものもどんどん入ってくる。人々の眼は新しいものに注がれるので、古いものは見えなくなることがある。しかし古いものは消え去ることなく生き続けており、私達の行動を規定しつづけている。》「おわりに」より

 昨夕帰りがけにブックオフ長泉店で四冊。恩田陸『上と外』幻冬舎2003年初版帯付、寮美千子夢見る水の王国(上・下)』角川書店2009年初版、『ガレッティ先生失言録 象は世界最大の昆虫である』白水社1992年2刷、計420円。