日常瑣事

 歌人の松平修文氏から氏が十代に作った俳句をまとめた句集『沼の絵』2010年を恵まれた。《昨年三月、長く勤めた美術館を退職し、時間の余裕が生まれたのを機に、》まとめた句集だという。気に入った句から少し。

《 朝霧に街灯続く港まで

  蝙蝠や空也が橋を渡りゆく

  五月雨に翼を濡らす女かな

  泥道をゆく地蔵しばしば転ぶ

  木枯しや河を流れる新聞紙

  だてう描く少女の首の汗を見き 》

《生意気にも独自の句を作りたいと希ったが、どれも少し老成(ませ)た少年の思いつきや反抗の表れにすぎない。》

 そのとおりとも言えるが、この数日、巻を措く能わずだった。何度も読み返したほど。日常瑣事からずっと遠くへ、という熱い眼差しが、わが身を震わせたようだ。その後「五月雨」は以下の短歌にまで転生した。

《 あなたからきたるはがきのかきだしの「雨ですね」さう、けふもさみだれ 》

 ブックオフ長泉店で二冊。ジム・トンプスン『失われた男』扶桑社ミステリー2006年初版、ジョルジュ・シムノン『モンマルトルのメグレ』河出文庫2000年初版、計210円。後者の解説はミステリ作家原リョウ。その結び。

《昔、嘘八百を書かないようにと、小説家が小説家の日常瑣事しか書いてはいけないような風潮が支配したときがあった。とんでもない話である。小説家の話は嘘八百を書くことだ。もう一度、シムノン嘘八百の周到かつ洒脱な至芸から浮かび上がってくる小説の真髄を味わってもらいたい。》