まだまだ回復途上

 一昨日昨日と夜の会合を休んだ。今晩は出るしかない。必要な資料はコピーしたけど(しりょうを変換して最初に出る文字が死霊。凹む)。江戸時代の三島宿の絵地図の解読図、昭和五年の三島町著名案内図そして現在のせせらぎ地図を対照して、水の路を重ねあわせると、NHKテレビの「ブラタモリ」ではないが、そこに新たな風景が浮かんでくる。

 五十年前の幼い記憶が鮮やかに甦る。あった、あった。痕跡はあるある。鉄道廃線跡のように、地表に残るさまざまな痕跡。さらに目線を低くして実地に検分すると、こんどは地形の高低差とは異なった水の路が見えてくる。水は低きに流れるけど、三島の場合、川の多くはは用水路。なので、なかなか興味深い現象が見られる。

 資料に当たって思うことは、「三島は水の都」とうたわれたというが、それはいつ頃からだろう。二〇世紀前半の三島町の観光案内を開いても、そんな言葉は出てこない。大体、都なんてオコガマシイ。水の町なら納得するが。子供の頃の記憶は清流ならぬ急流だらけという印象だ。狭い水路を水がガンガン流れていた。泳げる場所は限られていた。