休館日

 大震災以来疼いていた奥歯の変調が治った。近所の染井吉野桜が満開。

 坂崎乙郎ピカソを考える』講談社1979年から。

《 シーレは二十八歳で夭折し、悲劇的だというけれども、いったいどちらが無残なのか。生き続けてつまらぬ絵を残すことなのか、それとも、一瞬のうちにエネルギーを燃焼させることなのか。ふつう、私たちは夭折を悼むのですが、そうともいい切れないのが生きる意味なのです。》20頁

《 おどろくほど緻密な自然観察なのです。フリードリッヒは自然を細かに観察した。ただ観察だけではない、見たものを、夜明けを六つの層に描き分けたときに、おどろくべき画家となったのです。観察とは分析であり、ことばなのです。》25頁

《 フリードリッヒばかりでなく、十九世紀の画家は多かれ少なかれ自然に忠実に、自然に即しながら絵を描きました。自己主張をした。ゴッホでさえ自然から離れていない。/それに比べると、ピカソなどは自由奔放です。それはピカソが人間中心の画家だからで、ピカソの場合、人間は自然の一部ではなく孤立している。自然は人間の背景にすぎない。この点も、ピカソの二十世紀という時代の先取りで、ただこうした人間中心主義がゆきつけば、自然が滅び、人間も滅ぶ── 悪循環としかいいようがないでしょう。ピカソはひたすら此岸しか見ないのです。》26頁

《 ピカソの絵画は発見の喜びに満ち溢れていて、彼があるフォルムを発見し、描き、そこでフォルムが開花する。その瞬間の美しさがピカソの芸術創造の中心にあります。開花してしまっておしまいであるとも言えます。》57頁

 明日へ続く。