ディスクール

 昨晩は、テレビ取材で源兵衛川にホタルを観に来た 中川祥子、柳原加奈子そして大島麻衣の撮影に同行。十匹ほどが彼女たちの周囲に飛んでいる。三人、「わあ、スゴーイ!」と、何度も小さな声で歓声を上げる。昨日購入した『歳華悠悠』東京四季出版収録、永田耕衣の《 螢火を愛して口を開く人 》のようだ。違うか。

 その永田耕衣阪神大震災の句。

《 白梅や天没地没虚空没 》

 「近作五十句」から。

《 枯草や住居無くんば命熱し 》

 閑話休題山口昌男『知の遠近法」、「第4章 のらくろはわれらの同時代人」から。

《 当時そういう言葉の用法がなかったので、誰も使いはしなかったのだが、「のらくろ」は「ラジカル」なナンセンス漫画の最初で最高の到達点であったのだ。ちょうど映画の歴史がサイレント映画の段階で頂点に達してしまって、トーキー映画は所詮その「引用」または「註解」をついには越えることができないように。》

《 美術史などはどこにでもあるからもうよかろう。常民文化(フォーク・カルチャー)の最高の到達点がマンガであるから、比較マンガ学は是非大学の中に市民権を持つべき時にさしかかっている。》

《 新しい知的感受性は、それに見合うディスクール(弁述のスタイル=語彙の組合せ)を獲得しなければ表面化しない。(引用者:略)少くとものらくろの同時代には、こうしたディスクール(感性を組織する枠組み)の可能性は文章の形でほとんど存在しなかった。十年前にもほとんど存在しなかった。》

 ネットの拾いもの。

《 民主もアホだが

  自民はさすがにアホさに貫禄あるな。》