散逸する運命

 晴天。山帽子、梅花空木のまぶしい白い花。富士山は白雪が少し増えた。

 荻野アンナブリューゲル、飛んだ』新潮文庫1993年初版を読んだ。

《 今夜のBは堅い本を読む元気がない。虚しく楽しいものを読みたい、虚しく楽しくただ心地良いだけの絵を描く気分にさせてくれるような、そんな本を読みたいと思う。恋の物語はいらない。》「ブリューゲル、飛んだ」

 まあ、そんな気分の時、この本が目に留まった。

《 わたしはS社の「S」に「ブリューゲル、飛んだ」と「笑うボッシュ」というニ作を発表している。二作とも美術評論ではない。エッセイでもない。小説というわけですらない。》「付録 ボッシュブリューゲルの納涼お盆対談」

 以上三作に「ベティ・ブルーの世紀末ブルース」が収録されている。どれもすっ飛んだ発想で愉快だった。愉快? まあ、愉快としておこう。「ベティ・ブルーの世紀末ブルース」から。

《 この第一回目の食事の場面で、彼女の魅力がいかにスパイスのきいたものであるか、またスパイスのききすぎた女が男にとって如何に危険なものか、読者はおおよその見当をつけることが出来るだろう。》

《 二十歳の娘のヒステリーは、単に若いエネルギーの不完全燃焼かもしれない。ベティのようにマットウな人生のレールを踏みはずした三十女に、そのような無駄なエネルギーの蓄積があるわけがない。二十歳の若さはすでになく、四十歳の安定にはほど遠く、希望は捨てたつもりが諦めきれず、ひととおり色々な目に遭い人生にいたぶられて満身創痍。》

《 これが半永久的にもてばよいのだが、本物のダイヤモンドは、腐らないのに、恋愛のダイヤモンドは、冷凍保存しても、必ずいつかは腐る。》

《 現実がせち辛いから、人間にはいつの時代にも愛の神話が必要になる。ことに男は女を女神に仕立て上げるのが上手いし、文学から、人生から、女神の幻想を一掃してしまえば、味気ないのを通り越して孤独のゴビ砂漠に風吹わたることだろう。》

《 ベティだ、と思う間もなく玄関でドアが悲鳴をあげる。貧血で寝込んでいるドラキュラをさえ叩き起こしかねない勢いで彼女が入ってきた。》

《 今この瞬間だけ世界は二人の恋人を除いて無人となり、何も見えず、何も聞こえず、地球は宇宙の孤児と化して銀河系の広大な夜の中を漂っていく。》

《 男と女の相性なんて魔物みたいなもんで、必ず予想外の展開になって、手元に残るのはハズレ馬券ばっかり。》

 この辺になると、どこか本音が漏れたという気がする。

 ミステリ作家折原一のブログから。

《 会期中来ていただいた作家の二階堂黎人氏に聞いたこと。知人のまんがマニア(独身、60歳くらい)が急死し、そのコレクションの処分に関わって、たいへんな思いをしたのだという。
  独身のコレクターの場合(これはかなり多い)、引き取り手がなく、散逸する運命だとか。家族がいても、コレクションには興味がないので、だいたい叩き売られるか、捨てられる。
  まあ、どっちにしても、コレクター一代なので同じ運命か。楽しんで楽しんで死んだほうが本人にとっては幸せなのかも。》

 (独身、60歳くらい)他人事ではないなあ。

 ネットの拾いもの。

《 カイロに書かれている"低温やけど注意"は関西弁じゃありません。》