まっくら

 本棚から森崎和江・著/山本作兵衛・画『まっくら─女坑夫からの聞書き─』現代思潮社1970年初版、上野英信『地の底の笑い話』岩波新書1967年初版を取り出す。後者にも昨日話題の「世界記憶遺産」になった山本作兵衛の絵が挿絵として使われている。四十年余り前、この水彩画を初めて目にした時の衝撃は今もって憶えている。森崎和江は「あとがき」で書いている。

《 自分の子供らに炭坑の生活を残しておきたいと思って書き溜めたといわれる水彩画が、私を激しくゆさぶった。》

 悲惨としか言い表せない生活が、上野英信『追われゆく坑夫たち』岩波新書1960年初版に活写されている。添えられた写真と説明に言葉を失う。

《 炭車の設備をもたない小ヤマでは、石炭はもっぱらテボと呼ばれる背負籠によって坑外に運びだされる。テボを背にして狭い険しい坑道を一日中走りつづけて昇降するこの仕事は、よほどの体力と熟練がなければ不可能な重労働中の重労働である。》53頁

《 ボタ拾い、洗い炭、豆炭焼き、はては坑内のテボかろいに至るまで、あらくれた男たちにまじって、あらゆる職場で、働いている女たちのすさまじい姿が見られないことはない。そして、その数は失業者の増加とともに激増する一方だ。》 67頁

《 父も母も地底に吸いこまれてしまうと、後はもうボロきれをくくった人形だけがと子どもだちの孤独をなぐさめるただひとりの友だちだ。》119頁

《 日本の地底には今もなお抛棄されたままの幾百の屍をだきかかえている。石炭を掘りだすことにはどんな犠牲も惜しまない暴君たちは、その犠牲者たちを掘りだすことにはなんらの熱意ももちあわせない。》140頁

《 炭塵に濁ってどぶ水のようになった浴場も、仕事あがりの坑夫たちにとっては、一日としてなしにはすまされないオアシスである。》213頁

《 だが、もし読んでくださる人がいささかでも炭鉱労働者のかたく閉ざされた心の底を覗き、彼らの苦悶と慟哭にふれることによって、みずからの生きるみちを考えてもらえるならば、私もまたみずからを慰さめることができよう。》「あとがき」

 ネットの拾いもの。早々と梅雨入り。

《 この雨を、君にあげよう。つー、ゆー。》

 ヒッピースタイルの白砂勝敏氏が木の椅子と制作過程を You Tube に投稿。早く実物を見たい。12月に展示販売の予定。どれも世界に一つしかない椅子、つー、ゆー。