『自由学校』続き

 雨は朝止んだけれど、すごい湿気。展示室で今年初めてエアコンの除湿を運転。午後は晴れたので止める。

 獅子文六『自由学校』は昨日書いたように昭和二十五年の発表。六十年前のことだけれど、最近発表された小説と勘違いしそうな箇所がある。

《 しかし、あの頃は、大学の卒業証書が、月給の額を保証したから、ムリして学生になる理由もあったが、今は世の中が変ったではないか。》216頁

《 「そうかね。すると、三十代の男も、二十代の青年も、みんなロクデナシになっちまったわけだね。今の女は、可哀そうなことになったね。あたしの若い時分には、眼移りがするほど、立派な男がいたもんだが……」》327頁

 主人公の三十五歳の南村が、今で言う草食系男子だ。

《 「南村さん、あの女は、何者ですか。スコ・パンと、ちがうのですか」》

《 その意味は、《少し、パンパンである娘》ということらしかった。彼の見解によれば、そういう娘が、沢山、東京にいるというのだが、》338頁

 パンパンとは売春婦のこと。スコ・パンとは、援助交際だ。「敗戦維新」136頁なる言葉もあって、なんやかや。

《 「男ってものが、急に、滑稽に見えてきたのさ。バカで、間抜けで、オッチョコチョイで、空威張りで、見栄っ張りで、その上、ケチンボーで、気が小さくて、アレが好きで──という風に、男の欠点が、一時に、見えちまったから、不思議じゃないか……」》331頁

 ここのくだりを友だちに記憶を頼りに「バカで、間抜けで、オッチョコチョイで、アレが好きで──」と話したら、あなたのことじゃあ? という顔をされた。言わなければよかった。それにしても、読まれるべき面白い小説だ。