白砂勝敏展ニ日目

 太田忠司『甘栗と金貨とエルム』角川文庫2010年初版を読んだ。ここには15日に書いた『追憶の猫 探偵藤森涼子の事件簿』の藤森涼子が重要な脇役で出ている。高校二年生の甘栗が交通事故死した父親の仕事、探偵事務所を整理するところから始まる。母はとっくに病死、他に係累はない。太田忠司の別のシリーズの少年探偵狩野俊介は孤児。私は甘栗に親近感をもった。彼は父の仕事(失踪した四十五歳の母親を探す)を、なりゆきで引き受ける破目になる。その捜索で明らかになる驚愕の苦い真実。ロス・マクドナルドのハードボイルド小説を連想。ロス・マクの影響と言うと、結城昌治『暗い落日』などあるけれど、その苦い後味とはまた違ったよい読後感。昭和と平成の違いか。太田忠司の持ち味がよく出ている。

《 藤森さんはコーヒーを一口飲んで、私がテーブルに置いた文庫本に目を留めた。
 「あ、こんなの読んでるんだ。懐かしいな」
 「P・D・ジェイムズ、読んでるんですか」
 「もちろん。特にこのシリーズはね。職業柄、それの同性としても身につまされる話よ」
 「俺もこれを読みながら、身につまされてますよ」》97頁

 私はその昔(小泉喜美子・訳ハヤカワ・ポケット・ミステリ)読んで、探偵は楽じゃないと思った。小泉喜美子さんは生前、電話で小説を書く苦しみを訴えていた。

《 何考えてるんだ、と自分をたしなめた。相手はたぶん私の倍以上の年齢だ。親父くらいの年頃ならともかく、未成年を相手にするわけがない。そもそも私は年上好みなんかではなかったはずだ。
  と思いつつも正直なところ、藤森さんに会えるのが嬉しい。年上だろうと何だろうと知ったことか。彼女は私の好みのタイプなのだ。》171頁

 この感情、よくワカル。

《 私は小市民なのだ。》243頁

 米澤穂信の「小市民シリーズ」のパロディ? いや、小ネタか。

 きょうのうなづき。

《 いったん「極端」まで行ってから「戻ってきた」人の方が、はじめから「そこ」にいる人よりも、自分がしていることの意味をよく理解しているというのは経験的にはたしかなことです。》