暁のデッドライン

 昨夕は雨なので自転車を美術館に置いてバスで帰宅。今朝は曇天、涼しいので徒歩。やはり一汗かいた。

 昨日の毎日新聞夕刊、姜尚中(カン・サンジュン)へのインタビュー記事から。

《 姜さんは「仕切られた自由競争」というキーワードを提示した。いわく「完全自由競争でもなければ、国が民間に介入し、統制するものでもない。国策民営という官によって取り仕切られた部分と自由競争の部分の曖昧模糊とした関係の限界が露呈した。原子力村だけでなく、中央と地方の関係も取り仕切られている。今後の日本社会を考える上で、原子力エネルギーにかかわる制度や社会構造をどうするのかが解けない限り、先に進めないんじゃないか」 》

《 「国策民営という形は、さまざまな癒着がある。その中核が電力会社だった。互いに利益特権を持った旧ソ連の支配階級『ノーメンクラトゥーラ』の日本版をほうふつさせる。こういう構造はやっぱり変えないとまずい」 》

《 「大震災や原発事故で、55年体制の構造的な既得権益は強固な岩盤と分かった。ここにメスを入れないといけないが、残念ながら、実行できそうな政治家はいない。変えるには、やはり地方の力しか期待できない。もう上からの利益配分にすがるようなやり方は通用しない。まずは東北、九州から新しくやり直す。待ったなしです。新しい方程式を作らなければいけない」 》

 デッドライン(ぎりぎりの限界)だ。死線を制するか、機先を制するか。

 中田耕治『暁のデッドライン』桃源社1971年初版を読んだ。初刊は1964年。題名から察せられるように、昨日の『暁の死線』を意識したハードボイルド。目次は「午後二時三十分」から始まり、一日すぎて「午前三時四十分」まで、すべて時間だけ。女優の高校生の娘が誘拐され、身代金を要求される。そこに居合わせた恋人のジャーナリストが動き出す。事件は殺人事件を巻き込み、深い謎をみせる。そして暴かれる驚愕の真相。敗戦から二十年。東京オリンピックの年の世相はこんなだったか。今とほとんど変わらない。すでに55年体制は確立していた。荒削りな文章がその時代を逆照射している。

《 「おれは古風な人間でね。おれの心のどこかには、人間の真意とか、モラルとか、そんなもののかけらがこびりついているんだよ」

  「アンデルセンの童話にあるわ。氷のかけらが眼にとびこんで、世界じゅうが歪んで見えるようになった女の子の話が」

  「おれの眼には、古くさい道徳のかけらが刺さっているんだ」 》247頁

 語り手は川崎、恋人の女優は燎子。ミステリ作家原リョウ(燎から火偏を除いた字)のシリーズ小説の私立探偵は沢崎。