絵画論

 台風の影響で急に激しく降ったり止んだり日が差したり、目まぐるしく変わる雨模様。でも人は来る。安藤信哉の絵にとても感動される。良さをわかってくれる人たちがいるのは、なんとも嬉しい。

 ヴァン・ダイン推理小説を執筆する前、美術評論を書いていた。『グリーン家殺人事件』創元推理文庫で、探偵のファイロ・ヴァンスは絵画論をぶっている。

《 なにはさておいても、メトロポリタン美術館とか称する、ヨーロッパが掃きすてた死骸の安置所なんかあさり歩いたりなんかしないことは確かさ。》376頁

《 真の芸術家が絵を描く場合は、まずすべてのマッスと線とを、かねて構想しておいた構図に従って配合する。──つまり、絵のなかのあらゆるものを、基本となる構想に従わせる。それに反するものは、物象といわず、ディテールといわず、すべて排除してしまう。こうして、いわば形式の同質性とでもいうべきものを達成する。画面のあらゆるものは、一定の目的をもって、そこに描かれ、根底をなしている構図に従って、一定の場所を与えられている。そこには無関係のもの、連絡のないディテール、孤立したもの、ヴァル−ル(明暗の度)のでたらめな配合は、ひとつもない。すべての形と線とは相互に依存しており、いっさいの形象は──実に、一刷毛一刷毛のタッチにいたるまで、構図のなかに正確な場所を占めて、与えられた機能をはたしているのだ。絵画とは、要するに、統一なのだ 》377-378頁

《 「単なるカメラの機構でもって人生は記録することができる。しかし芸術作品は高度に発達した創造的な知性に、深い哲学的な洞察力が加わって、はじめてつくることができる」》394頁

  ヴァン・ダインの面目躍如だ。

 一昨日来館された画家福山知佐子さんがブログに訪問記を記している。

《 味戸ケイコさんの原画をガラス額をはずして見せてもらえて感激。私の大好きな「蛍」の闇の中にぼおっと光る貨物列車の絵、「あのこがみえる」の原画全部などなど貴重な作品を生で見る。紙(ボード)の肌理にのった鉛筆の黒のざらざらしたニュアンスがすごい。モノトーンの鉛筆画の中でも、ところどころ(黒煙の粒子の質が違う)青っぽいニュアンスの鉛筆の色があったり、夕暮れの宵闇の濃さをものすごい濃やかな丹念な塗り重ねで描いてあったり、そのデリケートな鉛筆の使われ方が非常に感受性に訴える。》